心は、このように休むことなく動きまわり、自己から外へさまよい出てはまた元の場所へ帰ってくる。外では太陽が焼け焦げているが、木陰は気持ちがいい。灼熱の太陽の中を歩いてきた人が、木陰に宿れば涼しいと感じる。木陰からわざわざ太陽の下に出てゆき、また木陰に戻ってくるのは愚かなことである。賢い人は、ずっと木陰に宿りつづけるだろう。そのように、真理を知った人の心は(*10)ブラフマンを離れない。無知な心は、その反対に世界をさまよい歩いて悲惨を味わい、つかの間の幸福を味わうためにブラフマンに帰ってくる。実際には、世界と呼ばれているものはただの想いである。世界が消え去り、想いが消え去れば、心は幸福を経験する。世界が現れると、悲惨の中を行く。
『ラマナ・マハリシの教え(めるくまーる社)』 … 私は誰か ⇒続く
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ラマナ・マハリシの教え | |
ラマナ・マハリシ/山尾三省(訳) | |
めるくまーる |