幸福は、自己の本性その物である。幸福とは自己とは別のものではない。世界のいかなる対象物の中にも幸福はない。私たちは無知のゆえに、対象物から幸福を得るものと思っている。心が外に出てゆくとき、悲惨を味わう。心の願いが満たされるときには、実は、心は自身の本来の場所に戻っており、自己である幸福を楽しむのである。同じように、眠りの状態、サマーディ(三昧)、失神状態、あるいは願った対象物が得られたとき、嫌いな対象物が消え去ったときには、心は内面に向かい、清らかな自己-幸福を楽しむのである。
『ラマナ・マハリシの教え(めるくまーる社)』 … 私は誰か ⇒続く
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ラマナ・マハリシの教え | |
ラマナ・マハリシ/山尾三省(訳) | |
めるくまーる |