神の姿を瞑想することや、マントラを唱えつづけることによって、心は一点に集中される。心はつねにさまよいつづけるものではあるが、鼻を鎖でつながれた象が他のものは何もつかまえられないように、神の御名や姿に満たされていれば他の対象には動かない。数知れぬ想いへと心が拡散しているときは、そのひとつひとつの想いは弱いものとなる。それが消えてしまうと心は一点に集中され、心強いものになる。そのような心にとって自己を問うことは容易である。これまで述べてきたいろいろな方法の中では、適当な量の清らかな食物を摂るという方法が最上である。これを実践することによって心の清らかさが増し、自己を尋ねる助けになってくれる。
『ラマナ・マハリシの教え(めるくまーる社)』 … 私は誰か ⇒続く
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ラマナ・マハリシの教え | |
ラマナ・マハリシ/山尾三省(訳) | |
めるくまーる |