解説-21.「紫式部日記」日記の構成と世界-道長A1
山本淳子氏著作「紫式部日記」から抜粋再編集
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日記の構成と世界-道長A1
構成
A前半記録体部分
B消息体部分
C年次不明部分
D後半記録体部分
今回は「A部分一回目のA1」
この部分には、彰子と道長を主人として賛美するまなざしが露わである。緊張感に満ちた冒頭部分は、中宮を迎えたこの土御門邸で、庭の木々の梢や遣水(やりみず:川から庭園に水路を造り引き入れた時の庭をながれる川水)の畔の叢といった言わば「道長支配空間」の自然のみならず、「おほかたの空」という天までもが、出産の季節の到来を知らせていると記す。
それに引き立てられて、道長が揃えた僧たちの不断の御読経(24時間、絶え間なく行われる読経。12人の僧侶が2時間ずつ、輪番で担当する。大般若経、最勝王経、法華経を読む)が感動を募らせる。まさに天下一体となって、彰子の男子出産を盛りたて、祈るのである。
冒頭から出産までは、最初に中宮彰子を登場させ、その後は道長、頼道、篤成(あつひら)親王の乳母となる女房宰相の君、そして彰子の母倫子と、主要な家族の一人一人にスポットライトを当てるようにエピソードを連ねてゆくことからも、明らかな構成意識が窺える。献上本「紫式部日記」の姿を多分に遺す部分であろう。
主家を主役に、この家にとって一大晴事となった親王誕生劇を、女房の目で書いてゆこうとする気概が、端々に感じられるのである。
そのことは例えば、道長と早朝、女郎花の和歌を交わした場面での表現にも見て取れる。この贈答は「紫式部集」にも載るが、そこでは状況は次のように記される。
朝霧のをかしきほどに、御前の花ども色々乱れたる中に、女郎花いと盛りに見ゆ。折しも、殿出でて御覧ず。一枝折らせ給いて、几帳のかみより「これ、ただに返すな」とて賜わせたり
女郎花さかりの色を見るからに露の分きける身こそ知らるれ
と書き付けたるを、いと疾く
白露は分きてもおかじ女郎花心からにや色の染むらむ
(「紫式部集」六十九・七十)
色々の花が咲き乱れる中で、道長は美女を意味する女郎花の花をことさらに選び、差し出す。しかも「これ、ただに返すな」とは、恋の誘いかけを袖にするなということだ。
「もう女盛りを過ぎた私、殿のお相手はできませんわ」と紫式部が詠めば、道長は「いと疾く」詠み返す。「女郎花は自分の意志で美しく染まっている。お前も心がけ次第ではなかなかのものだよ」。多分に色ごとめいた香りが、家集には漂うのである。
ところがその同じ素材を、「紫式部日記」は全く違うやりとりとして描く。
渡殿の戸口の局に見出せば、ほのうちきりたる朝の露もまだ落ちぬに、殿ありかせ給ひて、御随身召して遣水払はせ給ふ。
橋の南なる女郎花のいみじう盛りなるを、一枝折らせ給ひて、几帳の上よりさし覗かせ給へる御さまの、いと恥づかしげなるに、我が朝顔の思ひ知らるれば、「これ。遅くてはわろからむ」とのたまはするにことつけて、硯のもとに寄りぬ。
女郎花盛りの色を見るからに露の分きける身こそ知らるれ
「あな、疾」と微笑みて、硯召し出づ。
白露は分きても置かじ女郎花心からにや色の染むらむ
ここには、家集に見えなかった随身の姿が書かれている。随身は、警護のため勅令により特に与えられる武官だが、道長はそれを私的に従者としてとして使い、遣水の掃除などをさせているのである。
その威容、紫式部は強い引け目を感じるが、それも家集には書かれなかったことだ。
いっぽう花については、女郎花以外の花があったことが削られている。道長の言葉は紫式部に詠歌の早さを要求するもので、女房としての力を試している。したがって歌の意味も「女郎花に比べると我が姿が恥ずかしく思えます」となる。
或いは「露」に漢語「露恵(情を顕わす?)」の意を匂わせて「この邸宅の女郎花のように、道長さまの恩恵を被りたく存じます」との意もあるのかもしれない。
道長は自分が早く詠むのではなく「あな、疾」と、紫式部の詠歌の早さを評価する。そして「恩恵に分け隔てはない。お前も自らの意志で頑張りなさい」と励ます。道長はあくまでも、紫式部にとっては仰ぎ見る主家の長とされている。
家集と「紫式部日記」のどちらが事実かについては不明だが、こうした書き分けが明確かつ意識的に行われていることは重要である。
次回は彰子に対する紫式部の見方(A2)です。