解説-22.「紫式部日記」日記の構成と世界-彰子A2
山本淳子氏著作「紫式部日記」から抜粋再編集
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日記の構成と世界
構成
A前半記録体部分
B消息体部分
C年次不明部分
D後半記録体部分
今回は「A部分二回目の-彰子A2」
だが、同じく主人であるとはいえ、彰子に対する紫式部のまなざしは道長に対するものとは違う。彰子は最初の登場場面で次のように描かれる。
御前にも、近う候ふ人々はかなき物語するを聞こしめつつ、悩ましうおはしますべかめるを、さりげなくもて隠させ給へる御有様などの、いとさらなることなれど、憂き世の慰めには、かかる御前をこそ尋ね参るべかりけれと、現し心(うつしごころ:理性のある心)をばひきたがへ(打って変わって)、たとしへなくよろづ忘らるるも、かつはあやし。
<現代語訳例
中宮様におかれても、おそば近くお仕えしている女房たちが、とりとめもない話をするのをお聞きになりながら、(身重のため)お苦しくいらっしゃるだろうに、そしらぬふうでそっとお隠しなさっておられるご様子などが、本当に今さら言うまでもないことであるけれども、このつらい世の中の慰めとしては、このようなご立派な中宮様をお探ししてお仕え申すべきであったのだと、普段の心とは打って変わって、たとえようもなく全て(の鬱々とした気持ち)が忘れられるのも、一方では不思議なことである。>
彰子が身重のつらさをさりげなく隠す姿に、紫式部は「つらい人生の癒しには、求めてでもこのような方にこそお仕えするべきなのだ」と感動し、日頃の思いとはうって変わって、すべてを忘れたという。その自分を不思議だととらえる目もありながら、確かにひとときを癒されたのである。それは彰子への崇敬が、権力関係ではなく人としての共感だからである。
「女房日記」は基本的に、主家に従う女房が主家を賛美する姿勢を執ると考えられるが、紫式部の彰子へのまなざしには、主を仰ぐというよりも人として寄り添う一面がある。篤成親王を出産後、七日の産養(うぶやしない:出産後、三・五・七・九日目の夜に催す祝宴。親戚・知人が衣服・調度・食物などを贈る)をよそに御帳台で休む彰子を描写する場面もそうだ。
重圧の中で大役を果たした彰子の、痛々しい程の健気さを、紫式部は見届けている。
次回は女房たちや公卿・殿上人に対する紫式部の見方(A3)です。