日々の泡

こころに浮かんでは消え、消えては浮かぶ
日常のありふれた風景をスケッチ

あっち側

2013-09-12 22:30:27 | 社会
東京オリンピック開催決定、おめでとうございます。

浮かれ騒いでいる人たちに、被災地を見てもらいたいな。被災者の方の現状を知ってほしいな。
春と夏に石巻に行ったけど、夏に行った時も、春からほとんど状況は変わっていなかった。
地盤が沈下して満潮時には、水が道路に流れ出してしまう川。防潮堤が必要なのに、ほとんどの場所が、資材の高騰と人手不足で入札不調で工事は始まらず・・・
今年の大雨の時は、どうなったんだろう?
いずれ、ここまでの高さにします、という目印なのか、ところどころに盛り土の山(えっ!!こんな高さまで!!)。一体どれだけの量の土が必要なのか・・・何年かかったら地面ができるのか。
居住可能地域とそうでない場所の決定もあいまいで、土台しか残っていない、かつて人が家族とともに暮らした家の跡だけが二年半経った今も。残されたままの三輪車・・・。見たら胸がえぐられる気持ちになると思う。知らないということは、つくづく幸せなことなのかもしれない。
唯一計画の決まった、公園をつくる、という計画。完成はそれでも2022年だそうだ。オリンピック決定より先に決まっていたのに、完成はオリンピックが開催された後だって。馬鹿みたいな話だ。その公園にまた人が集まる日は来るのかな。。。


そして、開催決定にこぎつけた決定打となった言葉「汚染水は、完全にコントロールされています。」日本が国際社会から軽蔑されるようなことにならなければいい。来年にはハワイにまで到達するという話や、結局薄めて海に流すしかないのでは、という情報。・・・どうしてあんなに無邪気に喜んでいられるのかな?放射線をまき散らしているんだもの、シリアの化学兵器使用と結果としては、そう違いはないのでは。(使用をやめればいい、ということではないから複雑さでは上でしょ。)

スポーツの祭典というより、経済効果、経済効果そればっかり。この国は経済効果をもたらさないものには、価値を見いださなくなってしまったようです。
まるで、どこか遠い国の出来事のようにしか感じられない、毎日毎日いやというほど流されているオリンピック関連のニュースに、「どうして、復興にこのエネルギーをかけることができないのか。」と思わずにはいられない。
「あっち側の人間にはなりたくない。」美しくないものを見てしまうと、そう感じずにはいられない。美しい、美しくないは自分の大切な判断基準。理屈ではないのです。