日々の泡

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度肝を抜かれました。

2014-06-03 13:57:18 | 映画・音楽
あの映画を観てからというもの・・・
あの映画とは「野のなななのか」(大林宣彦監督)
(ワタシ)顔には出しませんが、実は、放心状態に近く・・・なぜか、と言えば「度肝を抜かれた」という感覚に近いのかな、と。
ワタシが持ってた大林監督のイメージって、「転校生」だったり、「時をかける少女」(アイドルが出る映画)・・・そのあとは、ほとんど観ていない。
観てない方にはわからないと思うけど、あんな大胆な挑戦(実験?)をするような監督っていうイメージがなかったから。
冒頭のシーンから・・あのセリフの言い回し。。。

「青天の霹靂」→「野のなななのか」 「青天の霹靂」に対して、「野のなななのか」は、明らかに映画を生業にしてる人(大林監督は、映画作家を名乗っているそうです。)にしか作れないであろう作品、という。にもかかわらず、すごく不思議な感覚を感じたのは、ワタシが昔演劇少女だったから(笑)
(興味のない方にはまったくわからないかと思います。わかる方、どなたか読んでいるでしょうか?)
劇団ひとりの作風が、オーソドックスな「新劇」に例えると、長いこと映画の世界で活躍し続けている老人(ごめんなさい。)である大林監督の作品は、まるで、小劇場か、アングラみたいなのです!!小劇場のもつ、時空を自由に駆け抜ける作風(タイムスリップとは根本的に違う)が大好きだったワタシには、全然違和感がなかった。でも、あの暗いトーンは、アングラが確実に入ってる感じ(笑)で、歴史や時代背景を説明する長いセリフが、古くさい「説明」ではなく、むしろ逆手にとった新手法?とまで感じさせてしまうような迫力。不思議~!!いつだって、若者が既成のもの、とか体制に反発して新しいものを生み出していくんだと思ってた。小劇場ブームがリアルタイムだったワタシにとっては、既成の新劇に対しての新しい表現が、小劇場だったり、その後に続くものだった。なのに、若い劇団ひとりの方がむしろ「青天の霹靂」のような(オーソドックスに感じられる)作品を作ろうとしたこと、興味深い。(時代も螺旋のようなものなの?)
どっちが優れてるでも、どっちが好き、でもなく。両方好き!だな。
なんか、演劇論についての課題を出されたみたいでなつかしいから、書いてみた。もちろん、こんなレポートでは、書き直しに決まってるけど(笑)
大林監督ほどのベテランでも、新しい表現を探し続け、挑戦し続けてるんだ、ということに感動してしまいました。そして、歳を重ねると、逆に大胆に飛べるようになったりするのかな、とも。穏やかなお姿からは想像もできない内に秘めたエネルギーにただただ圧倒されてしまいました。よい作品に出会えてうれしかった。3時間近い大作ですよっ。

野のなななのか