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この冬の寒さは、例年になく厳しい。12月に雪が降る日が多かった年なんて、そんなに多いという記憶がない。寒さにもそろそろ「もう、勘弁!」という感じ。でも、それは雪国の運命で(山形より厳しい寒さのところは、たくさんあるし。)寒いから何かが出来ない、というのでは(実際にレッスンに通えなくなる人は存在する。)たくさんの事を、ただ、諦める、ということにしかならない。ここは、寒い時こそやれることを考えた方が、建設的だ~よねっ。
普段のワタシは、身体を使うことの方が多い。だから、冬は、脳みその方にも少しばかりの栄養をあげたい、って思う。ぽかぽかコタツでの読書、とかね。寒い時の方が、落ち着いて読書、とか考えごとは集中できるものです。
糸井さんの「ほぼ日」で、吉本隆明の講演会の掘り起こしをやってくれたので、時々興味あるテーマにしぼって聞くのも楽しい。(なにしろ時間が長いのです。)ちょっとかじり聞き?しただけでも、新鮮。なかでも「芸術言語論」は、目から鱗。言葉の真髄は、沈黙。コミニュケーションというのは、樹木でいえば、枝葉のようなもの。(指示表出)幹は、内省、自己に問いかけるもの(自己表出)で、こちらの方が重要。小説にでも、音楽にでも、すべてのことに当てはめることができる考え方。
ワタシがなぜ、この論に興味を持ったかと言えば、タップダンスのルーツにある。「奴隷船で、会話を禁じられた黒人たちが、言葉の代りに生み出したとされるもの。」だから、ワタシは今まで他者とのコミュニケーションとしてTAPが存在するのかと考えていた。・・・でも、でも。。。
ワタシが自分で踏んでいるタップって、例えて言えば、むしろ「ヨガ」みたいな存在でもあり、踊っている時は、(例え見ている人がいる時でも)いつも、コミュニケーションが目的で存在するものではなかった、な。と。それよりはむしろ、踊る時は、いつも自然の存在があって、包み込まれるような感覚のなかで踊ることの方に幸せを感じていた、と。奴隷船での黒人も同じような気持ちであったのではないかと。タップは、自分の幹、そのものの存在になっていたような気がする。。。
そういう風に考えると、今までわからなかった事が、ちょっと納得できたりする。ひとつの考え方ではあるけれど、ワタシにはピッタリくる。
今年に入って、とても貴重な経験に恵まれている
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