たくさんの映画や演劇のプロデュースに携わってきた本田さん。
劇団経営にも携わって、人間関係や、財政問題の様々な問題に直面し、一時は「こんな馬鹿馬鹿しいことはやめた!」と、、、本気で思ったこともあるらしい。
それでも、大好きな演劇から離れることがなかったのはなぜなのか?
本田さんは、
演劇はこのままではダメになってしまう、新しい演劇が必要なんだ。
演劇で一番大切なのは、脚本だ。私は自分のやっているスタイルを、プロデュース公演と呼ばれるのは好きではない。中心には作品があって、むしろ「レパートリーシステム」だ。集客の見込める人気者を主役にして企画を考える「スターシステム」になってしまうのは違う。
・・・って話を、私は本田さんから直接言われたわけではありません。普段から研究生に話していたこと、研究所で大切にしていたこと、と、私が演劇から離れた後、本田さんについて過去のインタビューを探していて、その内容を総合して私なりに言葉にまとめてみたのが、上記のような。
歳バレちゃうけどこれ、40年近く前の話なんです。その時、本田さんは研究生から、(裏で・・)本田のおじいちゃん、って呼ばれていた年齢。。。
同年代の仲間が、劇団の代表とかで「最近の演劇は、早口で捲し立てて、何をやっているかさっぱりわかりませんなあ」なんて言っている時でも、当時人気だった「つかこうへい」などもちゃんと評価していたことが、インタビューなどに残っています。
そんな本田さんがつくった五月舎・・・
地方山形に住んでいて演劇を観られる機会といえば、当時「労演」しかありませんでした。(あっただけ恵まれてる。)会を存続させるためには、より多くの人の満足が必要だったでしょう。そして保守的な土地柄。例会は、有名老舗劇団による演目がほとんどでした。
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