関西人はもっと危機感を持ちましょう。
毎日有ストテレスは、今日書くブログのネタはないかといろんな記事を見て回ってるのですが、久しぶりに見出しにひかれた記事があった。
「関西、テロよりもポイ捨てが怖い」
これだけ見たらなんのこっちゃ、と思いますね。。
関西ではテロはどれだけ起こっても構わないけど、ポイ捨てはそれ以上に困るとでもいいたいのですか。
わたしも関西に永年住んでますけどやっぱりテロのほうが怖いですよ。
街頭ごみ箱、なぜか関西は健在 全国では撤去進む
この記事によると、街頭や鉄道の駅など公共の場所に設置してあるゴミ箱がテロ対策のため全国的に減ってきているのに対して、関西ではゴミ箱が常に設置してあるのだそうです。
関西人は便利さにこだわるのか、とにかく街角にゴミ箱は欠かせないようだと記事は締めくくっていました。
まあ確かに言われてみれば関西人の習性から考えて、街中を歩いていて出たゴミをわざわざ家まで持ち帰るということはまずしませんね。
街で出たゴミなんだから街で処分するという非常にニューヨーカー的な発想を持っているのです。
ということは駅の構内や街角にゴミ箱がないと、あちこちにポイ捨てするのは目に見えています。
だから関西ではテロ対策でゴミ箱を撤去したいと思っていてもできないのですね。
実際に関西でテロに遭ってないからかもしれませんが、東京みたいにサリンまかれた経験があるところでは「テロは現実に起こる」という危機感を持って日々生活してるのですね。
確かに関西圏の人たちは個人主義という以外にも楽観的な部分も持ち合わせています。
いい例が「阪神淡路大震災」です。関西じゃ大きい地震は起こらないと常日頃から思って生活していたため、実際に起こったときは大変なパニックになりました。
日ごろから地震はいつ何時起こるかわからないと認識した上で、起こったときのための用意をきちっとしておけば、もっと冷静に対応できたはずです。
目の前にある危機は今もあります。北朝鮮からのミサイルがいつ飛んでこないとも限りません。また大きい地震だって今後いつまたあるか分かりません。
これからは関西人に限らず、個人の利益も大切だけど、全体の利益のことも考えて生活していかないといけない。
関西人はそこんところを余り考えとらん様に見えるのだが・・・・。
毎日有ストテレスは、今日書くブログのネタはないかといろんな記事を見て回ってるのですが、久しぶりに見出しにひかれた記事があった。
「関西、テロよりもポイ捨てが怖い」
これだけ見たらなんのこっちゃ、と思いますね。。
関西ではテロはどれだけ起こっても構わないけど、ポイ捨てはそれ以上に困るとでもいいたいのですか。
わたしも関西に永年住んでますけどやっぱりテロのほうが怖いですよ。
街頭ごみ箱、なぜか関西は健在 全国では撤去進む
この記事によると、街頭や鉄道の駅など公共の場所に設置してあるゴミ箱がテロ対策のため全国的に減ってきているのに対して、関西ではゴミ箱が常に設置してあるのだそうです。
関西人は便利さにこだわるのか、とにかく街角にゴミ箱は欠かせないようだと記事は締めくくっていました。
まあ確かに言われてみれば関西人の習性から考えて、街中を歩いていて出たゴミをわざわざ家まで持ち帰るということはまずしませんね。
街で出たゴミなんだから街で処分するという非常にニューヨーカー的な発想を持っているのです。
ということは駅の構内や街角にゴミ箱がないと、あちこちにポイ捨てするのは目に見えています。
だから関西ではテロ対策でゴミ箱を撤去したいと思っていてもできないのですね。
実際に関西でテロに遭ってないからかもしれませんが、東京みたいにサリンまかれた経験があるところでは「テロは現実に起こる」という危機感を持って日々生活してるのですね。
確かに関西圏の人たちは個人主義という以外にも楽観的な部分も持ち合わせています。
いい例が「阪神淡路大震災」です。関西じゃ大きい地震は起こらないと常日頃から思って生活していたため、実際に起こったときは大変なパニックになりました。
日ごろから地震はいつ何時起こるかわからないと認識した上で、起こったときのための用意をきちっとしておけば、もっと冷静に対応できたはずです。
目の前にある危機は今もあります。北朝鮮からのミサイルがいつ飛んでこないとも限りません。また大きい地震だって今後いつまたあるか分かりません。
これからは関西人に限らず、個人の利益も大切だけど、全体の利益のことも考えて生活していかないといけない。
関西人はそこんところを余り考えとらん様に見えるのだが・・・・。
関西 好きやねん
大阪 めっちゃ好きやねんもん
京都 めちゃめちゃ好きでどすね
神戸 めっちゃ好き好き好き・何・言っとう
阪神淡路大地震の後で地域が無法地帯の時
コンビニで略奪がありませんでした
これ すごいことです
豊かな心の集団でした