遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

ちょっと寄り道散歩道~思わぬ出逢いにドッキリ!

2024年02月01日 | 物語

昨晩のこと 曳舟川→墨田区→墨東→永井荷風→葛飾情話と連想が働いた
葛飾情話は永井荷風のオペラ脚本だが はて どんな物語だったか・・・
Googl検索したら 私が2007年に某SNSに書いたブログが出て来た

いや~ こんなものが出て来るとは!!!
葛飾情話は改めて書くことにして 今日はその前日のブログの話を書く
タイトルが「かつしか川のまち」 <>で括って原文のまま載せる

<葛飾は川の多いところです。
荒川、江戸川に囲まれ、中川、新中川、綾瀬川などが区の中を流れています。たしか橋の数が23区でいちばん多かったように記憶しています。違ったらごめんなさい。



昨日紹介した博物館の前にも昔は曳舟川が流れていました。
曳舟川というのは、江戸時代に農地開拓のために作られた水路。
ご覧の絵のように小船に旅人を乗せ、人が両側の岸から綱で舟を曳いたところから、曳舟川の名が残ったようです。 

私が葛飾に住み始めた20年ほど前には、まだ川がありました。
しかし、今は南北3Kmにわたる親水公園となっています。(写真右)
街の変化は避けられないにしても、古い川筋や街並みはできるだけ遺しておきたいものです。
 

ここまでが原文だが 昨日載せた安藤広景の絵があることにビックリ!
何が初耳の名だ 忘れてただけじゃないか・・・忘却とは忘れ去ることなり

以下 コメントのやりとりも転載する これもブログの醍醐味のひとつ
<某さん
大阪も同じ状況です。
左の錦絵のような景色が右の写真のようになってしまうと、何か淋しい気がしますね。親水公園として整備され、舟が浮かべてあっても標本のようなもの、水は流れていても水道水で底はコンクリート、これでは「親水」とは名ばかりで、心から親しむことはできないでしょう。
僕は長年土木行政に携わってきただけに、自戒の意味も含めて人一倍そういうことを感じます。>

<私
たしかに水が淀みどぶ川と化していました。とはいえ、土の土手が崩され、川沿いの桜の古木が根こそぎ引き抜かれるのを見ていると、他にやりようがあるのでは、と感じたことを記憶しています。
20年近く前の土木技術でも、川底を浚いポンプで水を流れるようにすれば、人造公園など作らずともきれいな川の流れが再生できたのでは、と今でも思います。>

<某さん
>20年近く前の土木技術でも、・・・
 そうです。50年前でもできました。問題は技術ではなくて政策なんです。これまでの河川行政は「治水」一辺倒で、利水や環境がなおざりにされてきたのです。
 でも最近は国の姿勢も大分変わってきて、コンクリートや鉄の護岸をやめて石や木材などの天然素材を使った自然護岸をつくろうという動きが見られます。しかし、これも環境保護を訴える市民運動がなければ起らなかった変化ですが。

<私
なるほど、技術より政策、いずこも同じ・・・・ですね。
この前も地元である方と、ITに関してちゃんとした政策がないよね~、という話をしたばかりなのでした。>

年寄りの懐古ブログになってしまった
技術ではなく政策の問題・・・
17年前の某さんのコメントは 今もあらゆる社会課題に通じている

別の日のブログ 「六本木ヒルズじゃないぞ」と題して次の写真が・・・
その頃 六本木ヒルズが話題になっていたのでしょう たぶん



今日はここまで それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

こんな人がいた~『岡本太郎その27「対談集その10 黒川紀章#3 The End.』

2023年12月24日 | 物語


 黒川紀章は今日が最終回となる
 黒川の政治活動を調べていたら 彼は"日本会議"※の創立来の会員だった
 え~っ!? 前衛的なメタボリズム建築と超々保守組織・・・何だ それはッ!!
 ※日本会議:設立は1997(H09)年 黒川は設立時以来の会員で代表委員

 ともかくそれで興味を失ったので今日でケリをつける
 2007(H19)年3月 72歳 共生党を創設し党首となる
 同7月 東京都知事選立候補し落選※ 当選は石原慎太郎
 ※得票約16万票(石原は約281万票) 
 政見放送

 ”日本会議”らしからぬ政見だが、この頃脱会していたかどうかは不詳
 選挙に先立つ記者会見での彼の発言から 
 「社会主義国への幻影がある 中国・亡命への亡命も一時期考えていた」 

 選挙に先立ち発表したマニュフェストのポイント(一部のみ)は以下のとおり
 ・オリンピック招致反対 ・教育現場での日の丸、君が代の強制を改める
 ・築地市場の豊洲新市場移転に反対 ・首都機能の一部移転
 
 2007(H19)年7月 参院選に共生党から10人立候補
 自身は東京選挙区から 妻で女優の若尾文子は比例
 これも政見放送があったので埋め込み


 結果は全員が落選した
 同陣営で愛知県から立候補した人が惨敗の理由を語っている
 すべてを鵜呑みには出来ないにしても 理解に苦しむなぁ が私の感想 

 参院選からほぼ2か月後 2007(H19)年10月 黒川紀章逝去(享年73歳)

 冒頭に述べたとおり 黒川紀章は今日で終る
 それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

こんな人がいた~『岡本太郎その26「対談集その9 黒川紀章#2 ソビエト旅行etc.』

2023年12月23日 | 物語


 今日は太郎との対談では触れられていない黒川紀章と海外の繋がりを紹介

【ソビエトへの旅】
1958(S33)年 黒川24歳 東大大学院建築学科在学中
 全国50大学が参加する日本建築学生会議の初代委員長を務める
 ソビエト共産党から世界建築学生会議に招待され 初の海外旅行へ
 レーニン大学で行われた上記会議の議長として取り仕切る

2000(H12)年 65歳
 42年ぶりにロシアを再訪 学生会議時代の級友や初恋の女性と再会する
 この時のドキュメント映像が NHK BS2~Youtube動画で遺っている
 世界わが心の旅~黒川紀章のソビエト Part1-3 (連続再生されるはず)


【海外の建築】
 黒川紀章は国内の建築だけでなく 外国の建築設計も数多く行っている
 その一部を紹介
   1988(S63) ドイツ ベルリン日独センター

 ■1991(H03) オーストラリア メルボルンセントラル Photo taken by Sho Horiuchi 


 ■1992(H04) フランス ラ・テファンス パシフィック・タワー

 ■1995(H07) シンガポール リパブリック・プラザ by Photographer/Painter: Huaiwei


 ■1998(H10) マレーシア クアラルンプール国際空港(メイン・ターミナル)
 
 
外国の都市計画】
 1998(H18)年のカザフスタン政府主催の首都アスタナ計画の国際コンペで
 黒川紀章の都市計画案が1位に選ばれた 2030年完了予定で建設中
 このほかに中国や台湾の都市計画にも関わった

 アスタナ~Youtubeで表示→字幕アイコンをクリックで日本語(自動翻訳)

 それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

千夜一夜物語~序

2022年12月30日 | 物語

50代半ばの頃 よく本を読みました

会社を早期退職し ボランティア活動を始める前で よほど暇があったのでしょうネ

一番まとまって読んだのが千夜一夜物語で全14冊あったと思います

 

いま捜索中ですがなかなか見つかりません 本だけはやたら多くてどこだ?

とりあえず今日は序として 関連する音楽と映画から始めます

音楽好きの方なら まずはリムスキー・コルサコフ作曲「シェエラザード」でしょうか

続いてはベートーヴェンのピアノソナタNo.17「テンペスト(あらし)」第3楽章です

 この動画は削除しました

最後に映画の一部といきましょう  「船乗りシンドバッド」の一部です

 


知的コンプレックスの委細~続き

2022年12月27日 | 物語

同級生のヤツに八つ当たりしてしまいました

でも 彼に坂口安吾の存在を教えてもらったこと

それがわたしの知的人生?の始まりとなりました

どころか すっかり安吾にハマってしまって 今も抜けられない状態です

どうしてくれる? なんて言っちゃいけないよね・・・

 

安吾といえば 今度の正月に映画が公開されるとか

彼が書いた2作目の信長で 読んだ時は濃姫(信長の正室)が魅力的でした!

でも 本で読んで面白かったものが映画ではガッカリすることも多いし・・・

 

安吾については まだまだ書きたいことがあるので いずれまた!

なお 安吾には素晴らしいサイトができていました

興味のある方はぜひ以下のサイトをご覧ください

https://ango-museum.jp