今日は 少し変わった荷風の交遊録
作家の五木寛之が早大在学中の昭和30年頃 2年間ほど市川市に住んでいた
町名は北方町・・・町名の由来PDFをG-Driveにリンク(市川市サイトより転載)
五木寛之「風に吹かれて」より要約引用
~京成電車の市川真間駅で永井荷風に出会ったことがあった
集金バックみたいな袋を膝の上に握りしめて私の向い側に坐っていた
たぶん浅草に出かけるところだったにちがいない
自分の学生時代 ふと思い出すのは そんな事である~
言葉を交わしたわけでは無いので 荷風の日記や随筆に五木は出て来ない
その五木が「日記」という本を書いている その二十歳の日記(要約引用)
~1月6日 11時に配達終わり立石へ売血に行く。200cc 3時半に終わる~
上述の「風に吹かれて」にも売血の話が出ている(要約引用)
~立石や鐘ヶ淵の方面へは 近くの採血会社の帰りに寄った
私はしばしば京成電車に乗り 青砥か立石かの製薬会社に売血に行った
新小岩あたりには まだ水田が残っていて夏は蛙の声がしきりにした~
~K製薬株式会社葛飾工場の門表を確かめ ぼくは建物の中へ入った
木造の待合室があり 15、6人の男達が壁際のベンチに座っていた~
葛飾区の地名は 荷風の日誌等にもよく登場する
例えば「戦後日瀝」にも立石・亀有・新小岩・小岩・・・などが出て来る
といっても荷風の目的は売血ではなく 日参した玉ノ井と同じ
昔 五木寛之の夜のラジオ放送をよく聞いていたことがある
偶々 「五木寛之の夜 20031026 葛飾柴又」(Youtube)を見つけた
荷風と出会った話もあり 中ほどからの帝釈天の彫刻写真もGood!
ついでに 処女作の映画版(といっても一部 英会話学習版 7分程)
(字幕アイコンをクリックで 英→日本語 日→英語の字幕が出る)
今日はここまで それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]