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【山寺の暮らし】
1946(昭和21) 一雄34歳 太郎3歳
山寺に間借りした檀親子は時々山を下りて瀬高の商店街で買い物をする。
山寺に間借りした檀親子は時々山を下りて瀬高の商店街で買い物をする。
偶々、東京で知り合い瀬高に疎開していた児童文学者の与田凖一と出会う。
与田が寺を訪ねたり、檀親子が与田の家を訪ねたりして交友を再開する。
この山寺の暮らしの中で、檀は「りつ子・その愛と死」の構想を育てた。
この山寺の暮らしの中で、檀は「りつ子・その愛と死」の構想を育てた。
ゆかりの地近く、檀が妻を偲んで詠んだ歌が刻まれた石碑が立っている。
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つくづくと はじのはあかく そみゆけど したてるいもの ありといわなく
【待鳥(まちどり)サロン】
与田と再会した檀は、文学仲間が集う「待鳥サロン」に誘われる。
サロンは瀬高の待鳥邸で開かれていた。
待鳥邸は、姉の待鳥京子、妹の波江、富士子、三女、母春野の女所帯。
待鳥京子が作家志望だったので、自邸を文学仲間の集いの場にした。
檀はよく顔を出すうちに、離れの部屋を借りて太郎と居つくようになる。
作家仲間を呼び寄せたり、病気療養中の浪江に料理させたり・・・。
困った母春野が与田と相談、檀親子に山寺へ戻ってもらうことにした。
【待鳥サロンと山田ヨソ子」
実家に戻ったソヨ子は、近くの待鳥家の波江と女学校時代の友達だった。
卒業後も付き合いが続き、お茶を飲みによく待鳥家へ行った。
三姉妹と一緒にいちご狩りやピクニックにも出かけた。
(この時の縁で、後々、ソヨ子は京子を頼ることになる)
【ヨソ子と檀の見合い】
与田の計らいでヨソ子は檀と見合いをする。
奥さんに死なれた子連れやもめ、山寺暮らし・・・くらいしか知らなかった。
結婚するには条件のいい相手ではない、とヨソ子(沢木)は書いている。
もっともヨソ子には再婚の意志がなかった・・・とも。
与田に悪いと思ったのか、ヨソ子は待鳥邸での見合いを承知する。
その時の檀の印象はこう書いてある。(引用が少し長くなるが)
<長身だったが少し猫背で歯が出ている。
しかし、私にはその檀の姿が颯爽として見えた。
そのときの颯爽とした印象は、死ぬまで変わらなかった。
のちにさまざまなことがあったにもかかわらず、
私が檀を決して嫌いにならなかったのは、
このときの颯爽とした印象がいつまでも残っていたからだ。
それは、こう言い換えてもよいかもしれない。
檀は死ぬまで、そのときの印象を変えなければならないような存在には
ならなかったのだ、と。>
1946(昭和21) 11月 一雄34歳 太郎3歳 ソヨ子23歳
檀とソヨ子は、檀の義母が住む三井郡の松崎で結婚式をあげた。
近親者だけ20人ほどのささやかな式だった。
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式・披露宴を終えた後で・・・与田は仲人、中谷は作家仲間
1947(昭和22)
結婚の翌年、檀は仲間と語らい劇団「珊瑚座」を結成する。
ここで早くも「火宅の人」の愛人が登場するのだが、続きは次回に回そう。
それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]