遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

永井荷風#55摘録 断腸亭日乗~市川暮らし#8~交友録その4

2024年03月26日 | 日記
今日は市川時代の荷風の日誌に登場No.1の凌霜子こと相磯凌霜がテーマ
まずは 市川市サイト「荷風をめぐる人々から」の要約引用

相磯凌霜(あいそ・りょうそう) 鉄工所重役 1893/M26ー1983(S58) 
本名:相磯勝弥 晩年の荷風のもとに出入りし 様々な見聞を残した
船橋市海神に別邸 荷風は同居人のラジオ音を逃れ そこで執筆した
晩年の荷風の財産の管理や葬儀の段取りなども行なった~
(以下 相磯や関連の著作物が描かれているが省略) 市川市Webリンク 

相磯の生地、家族、略歴等をネットで探してみた
神田生まれ 中学を出て米国へ遊学 帰国後に銀座の商事会社に勤務
わかったのはそのくらい ほんと愛想が無い!

以下 「摘録 断腸亭日乗」 「戦後日瀝第一」 から荷風と相磯の交遊を描く
(例によって超要約記述引用 必要に応じて他資料も参照した
記述文後ろに#がついているのは摘録には無い日付け

 最初の出会い
1942/S17 10/16 荷風行きつけの銀座・金兵衛で凌霜と初めて会う#

翌年から次第に交友が深まってゆく
1943/S18 03/08 凌霜子より古い「文芸倶楽部」を借りて読む 昔の作品有
  06/17 夕刻凌霜子来話 共に金兵衛で食事 子より甘納豆貰う
  
この後は連日のように凌霜子と会っている
  10/03 夜金兵衛で食事 凌霜子がいた
  10/04 夜金兵衛で食事 凌霜子が来る
  10/05 凌霜子から黄橙のジャムを貰う
  10/07 鴎外先生の墓掃除に吉祥寺へ 夜金兵衛 凌霜子来る

1944/S19 省略凌霜子は来話,電話、食品や料理の贈物など荷風を世話する

1945/S20 02/25 凌霜子より電話
  23日の空襲で神田・上野・浅草など広範囲に焼けたと知る
  03/09 「偏奇館」東京大空襲で焼失

「偏奇館」焼失後 荷風は6月に明石経由で岡山に疎開 敗戦後 熱海を経て帰京し 翌年1月から五叟一家と共に市川市に住む

この間の凌霜子の情報が全く無い
別邸が京成電鉄の海神駅近くにあることは分かっているが
本邸はどこ? 家族は? 会社(鉄工所)は?・・・どれも不明

阿部雪子の謎に 相磯凌霜の謎が加わって 調べるのがタイヘン!
2人は知り合いだったのだろうか? という疑問も・・・

というわけで 今日は写真も動画も何も無し 
あまりに寂しいので 2ショットを再掲

それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

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