第二尾道尋常小学校時代の芙美子
2年ほど時を遡って、芙美子と緑敏の馴れ初めから結婚までの話を書く
1926(大正15) 23歳
芙美子は貸した本を返してもらうため、駒込の下宿屋を訪れる
そこで同じ下宿に住んでいた洋画を勉強中の手塚緑敏(1歳年上)と知り合う
12月、知り合ってすぐ芙美子は彼の下宿部屋に転がり込んで同棲を始める
ここまではいつもと同じ芙美子パターン
だが、ここから先が違ってくる
芙美子は、男と同棲を繰り返す過去の暮らしを清算したかった
結婚して安定した家庭を築き、自分は文学に専心するために・・・
が、画家修業中の緑敏に生活費は稼ぎ出せない
芙美子は、結婚してもカフェで働き、生活費を嗅ぎ出すつもりだった
緑敏にそう告げ、「結婚したい、式もあげたい」と言う
彼女に惹かれ、彼女の才能にも惚れていた緑敏も同意する
親しい友人たちを招いて、式をあげお披露目も行った
※芙美子のカフェ・エピソード
後述する「歌日記」にも、カフェ勤めの話が色々と出て来る
ここでは、友達で一緒に女給もした平林たいこの芙美子評を紹介
<美人ではないが一流の才能を持っていた
声がよく、暗さが微塵もなく、相手まで明るくする
彼女より美しい同僚の人気を奪い、話のわかるおもしろい娘だった>
1927(昭和02) 24歳
芙美子は結婚後もカフェで働き、生活費を稼ぎ出す
緑敏は銭湯の絵など描く仕事などをするが、稼ぎは少ない
年が明けて間もなく、芙美子は書斎のある家に住みたいと言い出す
1月、緑敏は、2間ある貸間を探し出し、二人は高円寺に移る
5月、芙美子は今度は一軒家が欲しい、と言い出す
これまた緑敏が貸家探し、杉並区妙法寺境内に移る
「やっと新婚生活が始まった」と芙美子は感極まって泣く
芙美子は喜怒哀楽が激しい、みんな含めて芙美子だと緑敏は理解を示す
売れない絵を描き続けるより、主夫で芙美子を支えるのもいいかも・・・
芙美子も美男子で温和な緑敏が好き、母や友達に自慢したくなる
「旅行に行こうよ」と緑敏を引っ張り出し、久しぶりの尾道へ
尾道に着くと、知り合いすべてに緑敏を自慢しつつ紹介して回る
緑敏も芙美子のそばにいて笑顔で挨拶する
昔の尾道風景
尾道のあと二人は両親の住む高松へ行き、結婚の報告をする
東京に戻った後、芙美子は作家活動にも本腰を入れて取り組む
12月、「歌日記」を書き上げる
1928(昭和03) 25歳
この年は芙美子にも、主夫の緑敏にとっても大忙しの年となる
1月、「海の見えない町」を雑誌「文芸戦線」に発表
2月、「いとしのカチウシャ」を同誌に発表
3月、「朱帆は海へ出た」、「洗濯板」 を同誌に発表
夏、緑敏の「生まれ育った所を見たい」と芙美子が言い、信州へ旅する
7月、長谷川時雨が「女人藝術」を創刊、芙美子も参加する
8月、「女人藝術」2号に詩「黍畑」を発表
10月、時雨の夫で編集者の三上於菟吉が「歌日記」に感動
於菟吉の提案で「秋が来たんだ~放浪記」に改題されて発表
この「放浪記」が好評を得て、昭和5年10 月まで断続連載となる
「歌日記」は、日付入りの詩歌・句・散文が入り混じる(後の放浪記の原形)
その「歌日記」から詩を2編紹介する(PDF)
1929(昭和04) 26歳
6月、第一詩集『蒼馬を見たり』を刊行する。
この詩集には次の二人から序文が寄せられ、期待されていことが分かる
さらに芙美子の評判が高まり、雑誌社から原稿依頼が来るようになる
夏、「女人藝術」の若手育成・資金獲得のため講演会開催の話が出る
芙美子は、尾道・門司の講演会に出かける
10月、「九州炭鉱街放浪記」を「改造」に発表する。
翌1930年、芙美子は海外へ出かけるが、今日はここまで
明日またお会いしましょう
[Roasy]