遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
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詩人あの人この人~「萩原朔太郎~その6 上田稲子その後」

2023年10月10日 | 読書


前橋文学館サイトへのリンク(年譜参照など使い方は自由) 

 
上田稲子 1900(明治33)ー1981(昭和56)    宇野千代 1897(明治30)ー1996(平成8) 
萩原朔太郎妻・カフェ経営         小説家・随筆家・編集者・着物デザイナー・実業家 

1926(昭和元)   朔太郎40歳 稲子26歳(以下名前省略)
 朔太郎一家は現・大田区馬込の通称「馬込文士村」で暮らした
 文士村には 尾崎士郎・室生犀星・川端康成・広津和郎・宇野千代・佐多稲子・
 吉屋信子・萩原朔太郎・三好達治らが住んで交流していた 

 1920年代(大正9ー昭和4)はモガ(モダンガール)・モボ(モダン・ボーイ)の時代
 文士村の面々も時代の先頭に立った 洋装・断髪・帽子・カフェ・ダンスetc・・・
 詩人・作家の衣巻(きぬまき)省三が文士村にダンスを持ちこんだという
 衣巻家のダンスパーティには 朔太郎・稲子・妹のアイもよく通ったらしい
 

東京四谷の国華ダンスホール(1920年代末) 

 余談だが 読んだ資料の中に ダンスの腕前?が書かれていたので紹介
 朔太郎→下手 アイ→下手 宇野千代→下手 稲子→軽やかに踊る

 さて 稲子は宇野千代から多くの影響を受ける
 洋装・ダンス・・断髪と続いたあとは浮気!(千代は男関係もド派手で有名)  
 千代は 衣巻家の近くに住む三富という若い慶応ボーイを稲子に紹介する
 
 千代の予想?どおりに稲子は三富と不倫の関係になる
 そして千代は朔太郎と不倫関係に・・・なったかどうかははっきりしない
 ともかく稲子の不倫は馬込一帯に知られ 朔太郎も離婚の決意をする

1929(昭和04)   朔太郎43歳 稲子30歳
 7月稲子と離婚 朔太郎は手切れ金として当時の金額で千円を渡した  
 朔太郎は 葉子と昭子を連れて前橋へ戻る 翌年7月父密蔵死去 

 この後、稲子は下落合にカフェ・バー「ワゴン」を開くことになる
 が、その時期などがハッキリしないので 只今調査中
 よって以降は明日に回すことにする
 明日またお会いしましょう
[Rosey]

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