プライマリースクール時代に、ナオミはどんな科目でも言われた通りに勉強する優等生たちの気持ちが理解出来なかった。
なぜそうなるのか? なぜ別の考えをしてはいけないの? なぜ答えが複数あってはいけないの?
なぜ、なぜ、なぜ?
教師がいやがる質問ばかりをしては皆のからかいの対象になった。
マクベスに登場する魔女たちなら「いいは悪いで、悪いはいい」と言うところだ。
だが、「好きは好きで、嫌いは嫌い」を信条とするナオミは思ったことをそのまま口にしては周りを唖然とさせた。「正しいことは正しい」はずだが、世の常はそうでなかった。
「天使の無垢さ」、「悪魔の狡猾さ」という言葉はあっても「マーメイドの正直さ」という表現は人の語彙にないようだった。まるで、よい部分や悪い部分は想像上の存在に任せるくせに、普通に行動するのは自分に任せろと勘違いしているようだった。
クラスメートと親の仕事が話題になりだすとナオミも、ケネスと夏海の仕事を知りたがった。
海軍を除隊後、ケネスは大学院主席卒業で第二言語習得の修士号を取ってから日本で英語を教えていた時期があった。その時、大学生だった夏海と恋に落ちた。
卒業後、彼女は地元ハイスクールで教えるかたわらパフォーマーとして月に何度かホノルルで舞台にも立っていた。夏海はペルシャ猫が立って歩いたならかくあらんと思わせる優雅さを持っていた。
よく気がついて責任感が強く、人に厳しく自分にはもっと厳しい。夢中になっている間は情熱的なのに冷めるともう執着しない。ユーモアのセンスを持ち芸術家肌の彼女に振り回されながら、それまではレディキラーだったケネスは夏海しか目に入らないようになった。
ただし、ナオミから見るとケネスはやさしくて強くて頭がよくて尊敬出来る父。唯一、口の悪いのが玉にキズだった。
「夏海を知ってからは他の女が同じ人類には見えないぜ」と言うのが彼の口癖だった。
ケネスがダイバーなのは知っていたので、ターゲットになったのは夏海だった。
「ねえ、夏海は何をしてるの?」
「わたしのお仕事? 先生よ」
「夏海は先生だったの! 何を教えているの?」
「ディベートよ」
ハイスクールの非常勤として担当していたクラスを教えた。
本当は、シェークスピアからダンスまで手広く担当していたが、正確を期そうとすると子どもはかえって混乱すると知っていたからだった。
「ディベートって何?」
来た!
子供は一度くらいついた獲物は離さない。しゃぶりつくすか飽きて放り出すまで。
ナオミが後日ハイスクールでディベート部に入ったのは、この時の答えに影響されたのかも知れない。
困ったぞ。大人には「政策決定の技法」とか、ごたいそうなことを言うんだけど。かといって、子どもにはごまかしがきかないから。ナオミのつぶらな瞳を見ているとしっかり答えてあげたいと思った。
「人生には、常に分かれ道があるわ。何を食べるか。どこに遊びに行くか。ディベートは何かをするメリットとデメリットを比べるのよ」
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