写真を載せることに色々と悩みましたが、ブログを通じて現状を伝えることも
私たちの役目ではないかと思い、載せることにしました。
幸町4丁目近辺です。
3週間は本当に長く感じました。
震災後は兎に角すぐにでも行きたいという気持ちでした。
行ってどうこうするわけでもありませんでしたが、
家族に会いたいという気持ちが強いものでした。
テレビはで炎に包まれた気仙沼の惨状が延々と流れていました。
テレビにくぎ付けで気仙沼が映るたびに家族の姿を探していました。
日曜日の夕方に秋田から、どうにかたどり着いた親戚が家族の安否を確認して、
とりあえず安心しましたが、そこからモヤモヤな日が続きました。
正直、仕事にも集中できずにネットで気仙沼の情報ばかり調べていました。
ようやく3週目に行くことができました。
東京から車で7時間近くでようやく気仙沼にたどり着き、久々の家族との再会しました。
家族はやはり疲れた様子でしたが、笑顔がそこにありました。
3週間はほんとに長かったです。
道中は順調で支援物資も無事に届けられました(支援物資のことは後でアップします)
後はもう東京で自分たちができることをするしかないです。
複雑な想いはありますが、それを言い訳にして休むわけにはいきません。
とにかくやりましょう。
幸町3丁目にある磯村さんです。
小さい頃にお風呂だけ借りたときがあります。
明日は兄弟で瓦礫の中から自分のもの探しを書きます。
私たちの役目ではないかと思い、載せることにしました。
幸町4丁目近辺です。
3週間は本当に長く感じました。
震災後は兎に角すぐにでも行きたいという気持ちでした。
行ってどうこうするわけでもありませんでしたが、
家族に会いたいという気持ちが強いものでした。
テレビはで炎に包まれた気仙沼の惨状が延々と流れていました。
テレビにくぎ付けで気仙沼が映るたびに家族の姿を探していました。
日曜日の夕方に秋田から、どうにかたどり着いた親戚が家族の安否を確認して、
とりあえず安心しましたが、そこからモヤモヤな日が続きました。
正直、仕事にも集中できずにネットで気仙沼の情報ばかり調べていました。
ようやく3週目に行くことができました。
東京から車で7時間近くでようやく気仙沼にたどり着き、久々の家族との再会しました。
家族はやはり疲れた様子でしたが、笑顔がそこにありました。
3週間はほんとに長かったです。
道中は順調で支援物資も無事に届けられました(支援物資のことは後でアップします)
後はもう東京で自分たちができることをするしかないです。
複雑な想いはありますが、それを言い訳にして休むわけにはいきません。
とにかくやりましょう。
幸町3丁目にある磯村さんです。
小さい頃にお風呂だけ借りたときがあります。
明日は兄弟で瓦礫の中から自分のもの探しを書きます。