父親と別れまして、独りで歩くことにしました。
ここは気仙沼中学校です。
今はわかりませんが、現在は学校が始まるために移動されたと思いますが、
4月3日の時点では避難所になっていました。
ちなみに中学校時代に2階のベランダから飛び降りたときがあります。
何で落ちたんでしょう。よく覚えていません。
グランドにはたくさんの車が停まっていました。
地形が高い場所にある地域は震災前となんら変わりませんが、
そこから坂を下ると景色は一変します。
本来ならまっすぐ道路があるのですが、塞がってしまっているため、
人の敷地を通りました。
場所は市民会館脇の気仙沼公園から下る坂です。
加藤商店がありましてその奥に大川が流れています。右手にガスタンクがありました。
そちらには向かわずに幸町4丁目のほうに向かいました。
途中でミヤコーバスがどこからか流れ着いていました。
街の原型はどこにもありません。
あたりは手つかずといいますか、手をつけられないといった状況です
右に曲がると大橋でまっすぐ進むと南駅の方に出ます。
私はここで育ちました。
私はすれ違う全員に挨拶しました。
「おざいます~」(一応おはようございますといっているつもり)
作業か何かしている方には
「おざいます~、がんばっぺね」と声をかけました。
幸町の地区会館への道路はふさがれていました。
写真の左上からよくテレビ中継されていました。線路があった場所です。
絶対にあってはならない場所に車があります。
今にも崩れ落ちそうでしたが、絶妙なバランスで耐えています。
津波で押し上げられたと思います。
これから大橋を渡って、南気仙沼小学校に向かいます。
ブログで多くの写真を載せています。
感じ方は人それぞれですが、多くの方に現状を認知してもらいたいです。
そして、この光景を焼き付けてください。私は絶対に忘れません。
日はまた昇る、絶対に昇る。
気仙沼、東北、日本も昇るに決まっている。
~東北関東大震災の人々へ~