またたび

どこかに住んでいる太っちょのオジサンが見るためのブログ

ネバギバ!

2011-04-08 08:19:29 | 震災関係
また大きな余震がありました。
電話回線がパンクして、気仙沼となかなか連絡が取れませんでしたが、
どうにか固定電話につながりまして、安否を確認できました。

もうこれ以上、何も失いたくない。
夜にまた涙がこぼれてしまいました。
頑張ろう、今を耐えましょう。
それ以上言葉が見つかりません。




昨日に引き続き、現場の写真を載せます。
自宅近辺で、

家の車のRAUM(ラウム)がありました。
帰省するたびに乗って、市内をグルグル回っていました。
ご覧の通り、ボロボロになってしまいました。
今までありがとうね。いつもサイドブレーキきつめにかけてごめんなさい。
ラジオから流れる本間ちゃんの声は忘れないよ。楽しかったよ。


ドラムは発見しましたが、ガレキからのもの捜しはまだまだ続けました。

塾のテキストです。
たぶん、マルス(潮見町)のかな。

そんときに使っていたであろうノートの切れ端。
いつの時でしょうか?
英語の文法を見てもさっぱりです。
字の汚さは相も変わらずです。

こういう中から探し出しています。
この中に数か月前まで使っていたものが泥まみれであるんです。
仕方ないことと頭でわかっていますが、気持ちは複雑です。
私はみんなに現場を伝えたかったので撮ってきた写真をすべて載せます。


この幸町は海から700メートルくらい離れていますが、
津波の高さはこのくらいです。

二階建てアパートの

わかりますか?窓のところまで津波が来ているんです。

まさか幸町までこの高さの津波が来るなんて、誰も想像できなかったはずです。

私がもし自宅にいたら、非難せずにたぶん二階にいたと思います。
ほんとにまさか、ここまで来るとは、、

あの日からいなくなってしまった猫の名前を呼びましたが、出てきませんでした。

でも、必ずいるはずです。

次兄は帰る際に猫の餌を家の近くに置いていました。
だって、猫たちが戻ってきたときに何もなかったら可哀そうだもんね。
家族は古町の元魚屋さんにいるから、場所がわかったら2匹でおいでね。
トットとちびすけ(ガン)も家族なんだから、気が向いたらでいいから来てね。
いつまでも待ってるよ。


幸町の公園にはありとあらゆるものが流れ着いていました。

これは南駅前のライオンパチンコのパチンコ台でしょう。
GAROの新台だと思います。

空台のポップ。
津波の流れはこちら側に来ていることが予測できました。
この近辺にはまだまだ行方不明者がいるみたいです。
一日も早く見つかってほしいです。

幸町からまた仲町に戻りました。
コヤマのもの探しをしていると外人が写真を撮っていました。

腕章をしていなかったので、たぶん個人的な撮っているだけだと思います。

私はがれきの中から見つけ出したアルバムを持って笑顔で
ネバギバ!
(never give up)

と叫んで、高々と親指を立てました。

外国人はうんうんという頭を上下させ、写真を撮っていました。
諦めてたまっかよ。

幸町とは幸せな町。
みんなで幸せな町を取り戻しましょう!!
幸せな町を築きあげましょう!!!