Image copyrightAFPImage captionダラアの町の損傷した建物の中心に、軍はシリア国旗を掲げた
シリア政府軍が、バッシャール・アル・アサド大統領への抵抗運動が始まった同国南部のダラアで支配地域を広げている。12日には市の中心部にシリア国旗が掲げられた。
シリアの国営メディアによると、シリア政府軍はロシア軍の憲兵とともに同地域に入り、市の中心部にシリア国旗を掲揚したという。
反体制派は、恩赦もしくは同勢力が支配する北部への安全な退路の確保と引き換えに、地域の明け渡しに同意したと報じられている。
シリア政府軍は6月19日に大規模な攻撃を実施して以降、ダラア周辺地域の大きな一帯を奪還していた。
国際連合は、最大23万4000人が戦闘により避難を余儀なくされたままになっていると発表している。避難した人の70%は、近郊のクネイトラ県に逃げ込んだ。クネイトラ県はシリアとイスラエルが占領しているゴラン高原との境界線に近い。
それ以外でヨルダン国境に避難している数万人の人々は、ダラア郊外にいた反体制派の戦闘員が6日に武器を捨てて政府軍の統治に従うことに同意して以降、自分の住居に戻り始めている。
ダラアの反体制派支配終結が重要な理由
ダラアの町は、戦術的にも象徴的にも重要な意味を持っていた。ダラアはダラア県の県都で、ヨルダン国境に繋がる主要道路にも近い。2011年3月にシリア内戦が始まった場所でもある。
近隣諸国で発生した「アラブの春」と呼ばれる革命に感化され、学校の壁に反政府的なスローガンを描いた10代の若者数人が逮捕され拷問されると、民主主義を支持する抗議活動がダラアで起こった。
Image copyrightAFPImage captionアサド大統領の統治に反対する初の大規模な抗議活動は、2011年にダラアで始まった
政府は抗議活動を鎮圧しようと戦力を投入し、死者も出した。すると、アサド大統領の辞任を求める抗議活動はシリア全土に広がった。
混乱が広がり、取り締まりも強化された。反体制派は、最初は自分たち自身を守るために武器をとったが、後に治安部隊が支配する地域の解放を目的とするようになった。
暴力は急速に激化し、シリアは内戦状態となった。35万人以上が死亡し、さらに1100万人が難民化した。
反乱軍のダラア明け渡しを導いたもの
シリア南西部は過去1年間、比較的平穏だった。反乱軍を支持する米国およびヨルダンと、アサド政権を強力に支援してきたロシアが仲介し、「緊張緩和」合意が結ばれていたためだ。
Image copyrightAFPImage captionロシア軍とダラア県の反体制派を統率する司令官が休戦交渉を行った
しかし、首都ダマスカス近郊の東グータを支配していた反乱軍を4月に鎮圧すると、アサド大統領は地域の完全な統治奪還を目標に定めた。
3週間前の大規模攻撃以降、政府軍と、協力している民兵らは、ロシア軍戦闘機の支援を受けながら急速に進攻した。
激しい空爆、砲撃、ロケット攻撃は反乱軍を弱体化させた。米国は反乱軍に、軍事的介入は行わないと通知した。
さらにこの攻撃は、市民30万人以上による自宅からの避難とヨルダンやゴラン高原への退避を引き起こした。
ヨルダン政府とイスラエル政府が国境や境界線の開放を拒否すると、国連は人道的危機を警告した。国連は、多くの人々が防護能力の十分な避難施設に逃げ込めず、 きれいな飲み水や医療の定期的な確保もできていないため、避難民向けに作られた簡易宿泊地の生存環境が悲惨なものになっていると発表した。
Image captionシリアの支配勢力を示した図。大部分はシリア政府軍が奪還しているが、西部に反体制派の支配地域がある。過激派勢力「イスラム国」の統治地域もある。イスラエルが占領するゴラン高原との境界線には国連の監視団も入っている
反体制派が支配していた数十の町や村が、その地域における休戦に合意した。この合意は、反体制陣営の主流派がロシアの調停役と広い範囲で交渉を始める前に生まれた。
避難した市民の安全な帰還と、反体制派支配地域のイドリブ県やアレッポ県への希望者の安全な脱出をロシアが保証したことで、ダラア市東部の郊外、およびヨルダン国境地域にいた反体制派は先週、重火器および中高射砲を放棄した。
ダラア市南部に潜伏していた反体制派も12日、ロシアの代表団と支配権の譲渡についての議論を始めたと、情報筋がロイター通信に語った。
シリア南部の紛争は終わったのか
政府軍と反体制派は、過激派「イスラム国(IS)」の関連組織に所属するイスラム聖戦主義者の民兵とも戦闘している。ISの関連組織は、イスラエルが占領するゴラン高原に接するわずかな地域を支配しており、政府と反体制派との休戦協定にもこの組織は参加していない。
Image copyrightAFPImage caption反体制派が支配していた町にある自宅に、数万人の人々が戻っている
英国に拠点を置くNGO「シリア人権監視団」は12日、ハリド・イブン・アル・ワリド軍のメンバーが夜間に、反体制派が支配していたハイト村を奪取したと報告した。ロシア軍と政府軍が11日に実行した空爆はこの組織を標的にしていたが、組織の活動は止まらなかった。
ISの報道組織は、同派の民兵がヤリ村周辺も支配下に置いたと主張している。
一方、イスラエル軍は12日、ゴラン高原の境界線に近いシリア軍駐屯地3カ所を攻撃した。同軍がシリアから飛んできたドローン1機を撃墜した数時間後のことだった。
(英語記事 Deraa, birthplace of Syria uprising, retaken by government forces)