現在、イスラム革命勝利記念週間を迎えています。この革命は文化、社会、政治などのすべての面で、驚くべき転換を生み出しました。
どのような革命においても、支配者の抑圧や不正義に疲れた人々が立ち上がり、紆余曲折の後、抑圧的な支配者を倒しています。しかし、以前のものにとって変わる政治体制は、人々や、革命の指導者の見解に関係します。イランのイスラム革命でも、このような段階を経ており、はじめからイランのイスラム教徒は、運動の指針として、また社会と政治体制を統べる教えとして、進歩的な目覚めの宗教、イスラムを選んだのです。
まさにこのために、イランの人々は、優れた勇気あるイスラム学者、つまりイスラム革命創始者のホメイニー師を革命の指導者として受け入れました。1979年の2月の運動の勝利後、イランの統治体制がイスラム体制となるのは自然の成り行きでした。
イスラム教徒の間で、常にイスラムに対する異なった見解が存在することについては、ご存知かとおもわれますが、ホメイニー師はイスラム革命の思想が、真の、原点のイスラムであるとしています。ホメイニー師は、それをコーランの教えや、預言者とその一族の伝承に基づいた、預言者ムハンマドの純粋なイスラムと呼んでいます。
ホメイニー師
イランの人々の大規模な革命に満ちていた思想は、その勝利から40年が経過する中で、今日、世界中の多くの人々がイスラム革命の価値を支持するほど、より輝き、魅力的になりました。特に、ワッハーブ派やタクフィール主義のテロ組織の活動がより活発になり、イスラムの名で多くの犯罪に手を染めているこの数年間、イスラム革命が宣伝しているイスラムの本質的な価値が正しいことは、より明らかになっています。預言者ムハンマドの純粋なイスラムと、タクフィール主義のイスラムに関する解釈の矛盾や対立は、今日、いつの時代にもまして顕著になっています。
イランのイスラム革命は、イスラムの教えが論理的であることを示しました。このイスラムの大規模な運動は、力や強制に訴えることで、誰かをその真理に関して納得させようとしたことはありません。なぜなら、コーランによれば、原則的に宗教の受け入れは強制的なものではなく、個人に特定の思想の受け入れを強制することはできないからです。過去において、イスラム革命に満ちている崇高な価値観が本質的で論理的であることだけが、イスラム教徒の国民、しばしば非イスラム教徒の国民を魅了してきたのです。
イランにおける集団礼拝
逆に、ワッハーブ派、タクフィール主義の団体や、それに影響を受けたグループは、論理を根拠にしていません。こうした逸脱した、狂信的なグループのメンバーの信条と行動において、理性などはほとんどないように思われます。このような思想により、タクフィール主義者は反対者する人物全員を殺害することを合法だとして、彼らに対して冷酷に対応しています。現在、殺害や暴力はワッハーブ派やタクフィール主義組織の本質の一部となっているのにもかかわらず、彼らは自身をイスラム教徒だとしています。
イランのイスラム革命では、人々の意識や洞察力は効果ある決定的な役割を果たしてきました。ホメイニー師は何よりも、人々に対して、パフラヴィー朝の王とそれに従うものの背信行為を知らせてきました。同様に、ホメイニー師やそのほかの革命的なイスラム学者は、人々に純粋なイスラムの教えを伝えました。その結果人々は洞察力や慧眼により、イスラムの道を選び、敵の様々な陰謀や圧力の中で、この輝く道を力強く歩み続けています。
一方で、ワッハーブ派やタクフィール主義の指導者らは、人々が目覚め、洞察力を持つのを極力妨害しています。それは彼らが自分たちの逸脱した脆弱な信仰に気づいており、もし従う者たちがこの事実に気づいた場合、彼らに背を向けるようになるのを知っているからです。ワッハーブ派の教えにおいて顕著に目にするものとは、洞察力や慧眼とは全く逆の無知や迷信、偏った信仰です。このため、ワッハーブ派と結託しているメディアは、人々をひきつけるため、興奮を誘う真実とはかけ離れた宣伝を行い、事実を伝える論理的な証明を遠ざけています。
イランのイスラム革命では、人々とその見解は決定的で効果的な役割を果たしています。革命は目覚めた人々により勝利を収めました。革命は続いており、彼らはなんども自分たちの政府の担当者を決めるために、投票所に足を運んでいます。しかし、ワッハーブ派の指導者は、人々の地位や価値を認めていません。彼らに従う者たちは、理由なく戦争に参加すべきであり、タクフィール主義の指導者の望むものを実現するために、自身や他者の命をささげているのです。一方で、人々の要望や見解はワッハーブ派にとって重要ではなく、むしろ指導者の見解に反対した場合、命を落とす可能性があります。
イスラムは女性に対しても、その尊厳や特性などを認めており、女性は家庭や社会において重要な役割を果たしているとしています。このため、ホメイニー師はイラン女性のイスラム的な性質を復活させ、彼女たちは家庭における重要な役割と共に、男性と共に国の将来を決定し、宗教と革命、自国を守る中で、役割を果たすことができました。ホメイニー師は女性に対して、このように語りかけています。
「イスラムはあなた方女性に対して特定の見解を有している。女性に対するイスラムの恩恵は、男性に対するそれよりも大きい。女性の地位は高い地位であり、崇高である。女性はイスラムでは高く位置づけられている」
イランの最高指導者ハーメネイー師と会談する女子学生ら
一方、ワッハーブ派思想や西側の思想に影響された一部のイスラム諸国では、女性は性的な道具とされています。たとえば、サウジアラビアでは、女性は国の将来に対する影響力を持たず、車を運転する権利も制限されています。シリアやイラクにおける戦争の中で、タクフィール主義のテロ組織は迷いに陥らせる宣伝により、性的な必要性を満たすために、数千人の女性をこの二つの国に送り込んでいます。これらのテロ組織は占領地の多くの女性に対する暴行を行い、彼女らの権利を認めていません。
サウジアラビアにおける女性ら
イスラム世界の団結は、イスラム革命の恒常的な戦略目標の一つです。イスラム革命の指導者たちは、常に敵に立ち向かう中でイスラム教徒を団結させようと努力しています。しかし、残念ながら、ワッハーブ派ははじめからイスラム共同体における対立の出現を基本としています。この宗派は様々な口実により、他の宗派の信徒を異端としており、それに満足せず、反対派を殺害しています。今日、イラク、シリア、パキスタン、アフガニスタン、ナイジェリアや一部のイスラム諸国では、タクフィール主義のテロリストがワッハーブ派でないという理由で、イスラム教徒を殺害しています。一方、これらのイスラム教徒は神や預言者ムハンマド、コーラン、カーバ神殿、来世など多くの基本的なイスラムの信仰を持っています。
イスラムは信徒に対して、抑圧を行うべきではなく、抑圧されることもあってはならないと強調しています。抑圧との戦いは、イランのイスラム革命の重要な基準のひとつです。このため、イランの人々は圧政的なパフラヴィー政権を転覆し、世界の覇権主義とシオニズムの陰謀に立ち向かう中で抵抗しました。イスラム共和国憲法においても、イスラム革命は全世界の被抑圧者を支援しています。一方で、ワッハーブ派やタクフィール主義の組織は、抑圧を行う宗派としての様相を示しています。彼らは好戦主義や拡張主義により、イスラム諸国各地で多くの人々を殺害し、多くの破壊行為を行っています。彼らの圧政との戦いとは、シリアやイラクの政治体制に対する戦いなのです。しかし全く、アメリカやシオニスト政権イスラエルに対する闘争は行いません。その一方で、イランのイスラム革命は、これまで、アメリカとシオニスト政権に対する闘争のさきがけとなり、抑圧されているパレスチナ人を支持してきました。
総じて、イスラム革命の論理的な思想と本質は、コーランに記されている、常に成長し、より力強くある清らかな木のようなものであるとすることができます。しかし、ワッハーブ派やタクフィール主義は不浄な木のようなものであり、衰退に向かっているのです。
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