シリア騒乱と修羅の世界情勢

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「東欧系ユダヤ人は250~420人が創始者」ゲノム解析で判明

2016年01月28日 | ユダヤ人

「東欧系ユダヤ人は250~420人が創始者」ゲノム解析で判明

アシュケナジム(東欧系ユダヤ人)のゲノムを解析した結果、約600~800年前に「ボトルネック」(集団内個体数の激減)があり、250~420人が創始者となった集団であることがわかった。

TEXT BY DIANA GITIG
IMAGE BY LIBRARY OF CONGRESS
TRANSLATION BY TOMOKO TAKAHASHI/GALILEO

ARS TECHNICA (US)

ショファー(ユダヤ教の宗教行事で用いられる角笛)を吹くアシュケナジム系ユダヤ人。

アシュケナジム」と呼ばれるドイツ・東欧系ユダヤ人(ヘブライ語の「アシュケナズ」はドイツ地方を指す)は、米国に住むユダヤ系住民の大半を占める。ユダヤ人にはそのほか、1492年に追放されるまでスペインに住んでいたセファルディムや、1948年にイスラエルが建国されるまで長らくアラブの国々に住んでいたミズラヒムがいる。

このほどアシュケナジム系ユダヤ人の完全ゲノム128人分を解読した結果、彼らの遺伝的な独立性が明らかになった。現代ヨーロッパ人(今回の研究ではフラマン人(北フランスやベルギーに起源をもつ、オランダ語を話すゲルマン民族)26人のゲノムと比較すると、新規の遺伝子変異が、1ゲノムあたりで47%多くみられた。しかも、これらの変異は、新規でありながら集団に固有のもので、2人の人が同じ変異を有する配列の共有は、アシュケナジム系ユダヤ人の集団内では、フラマン人との集団間、およびフラマン人の集団内と比較して8倍にのぼった。

さらに研究チームは、共有されている遺伝子セグメントの長さにもとづき、現代のアシュケナジム系ユダヤ人集団が、いまから25~32世代前の約600~800年前に「ボトルネック」(集団内個体数の激減)を経験していたことを特定した。これは、14世紀半ばのペスト流行によるものかもしれない。あるいは、十字軍運動による東欧ユダヤ人共同体の虐殺によるものかもしれない。何が原因にせよ、このボトルネックによって、現代のアシュケナジム系の祖先となった創始者集団の個体数は250~420人にまで減少したという。

ボトルネックによって集団の数が減ると、低頻度かつ劣性の遺伝子変異が増幅される(ボトルネック効果)。アシュケナジム系ユダヤ人に起こったのも、まさしくそのようなことだ。

現在では、アシュケナジム系ユダヤ人の女性が妊娠すると、テイ=サックス病カナヴァン病ゴーシェ病ファンコーニ貧血嚢胞性線維症など、36種類の劣性遺伝疾患のスクリーニングを受ける(テイ=サックス病とゴーシェ病の罹患率は、一般的ヨーロッパ人の約100倍に達するとされる)。

またアシュケナジム系ユダヤ人は、癌抑制遺伝子であるBRCA1BRCA2の変異を有する頻度が高く、一般的な頻度が400人中1人なのに対し、40人中1人の割合で発生する。これらの遺伝子変異は、アシュケナジム系ユダヤ人の乳癌の11%、また卵巣癌の40%を引き起こしている。

今回の研究(論文はこちら。日本語ハイライトはこちら)のように、アシュケナジム系ユダヤ人に固有の遺伝子変異の程度を明らかにすることは、臨床診断を格段に容易にするだろう。個人のゲノム配列を解読すれば、ヨーロッパ人全体のデータベースではなく今回のデータベースと照合し、どの変異が疾患を引き起こす可能性があるのか、より簡単に特定することが可能になる。

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2015年 11月 27日
日本国憲法の秘密-113:日本の ミズラヒム
 
東の女達の教え

過越祭の頃に亡くなったイエス・キリストが数日後に復活した。
ユダヤ教の過越祭がキリスト教になると復活祭(イースター)となった。
どちらも春先の行事である。

過越祭には種なしパンを食べる。
種とは酵母(出芽酵母・イースト)のことである。
過越祭には発酵パンは食べてはいけないんだとか。
種とか母とか、どことなく受精・受胎を彷彿させる。
種なし母なしということは、今は忙しいからダメ・・・とかなんとか?(それとも逆?)
言い方を変えると、受胎拒否の期間ということになりそうだ。(受精・受胎がなければ良いとか?)

東は英語でEast。
復活祭(イースター)はEaster。EAST+ER=EASTER
イーストはYeast。Yの後にこれまたeastが続く。
イーストという音はイエスやキリストにも似ている。

ヨーロッパではイースターという語は、女神の名(オスタラ)由来だと言われている。
Ēostre or Ostara (Old English: Ēastre, Northumbrian dialect: Ēostre, Old High German: Ôstara)
アングロ・サクソン(ゲルマン人)の多産と豊穣をつかさどる春の女神エオストレは、その化身あるいは使いがウサギである。
ウサギは、冬に失われた生命が復活し草木が芽吹き花々が咲く再生の春のシンボルである。卵は宇宙の根源のシンボルであり、宇宙は卵から生まれ、殻の上半分が天になり、下の部分が地になったことをあらわす。絵画等でも女神は必ずといっていいほどウサギを伴った姿で描かれ、このウサギが良い子に卵をもたらすとされる。


オスタラ (Ostera) アスタルテー (Astarte) イシュタル (Ischtar) イナンナ (Inanna) などの女神の名で欧州各地の神話伝説にあり、さかのぼれば、ギリシャのアフロディーテやローマのビーナスなどにも通じ、古代エジプト、ペルシャ、ローマなどでは春の祭りに卵に着色して食べる習慣が既にあったという。のちに、キリスト教が入ってきたときに、キリストの復活と春を祝う女神信仰が「生命への希望」という共通点で結びつき、エオストレ (Eostre) は復活祭 (Easter) の名前の由来となった。
こうした経緯から、キリスト教会で行われる復活祭(イースター)では、生命と復活の象徴を卵とウサギに求めて、イースターエッグやイースターバニーの名で行事にシンボルモチーフとして登場させる。ただし、正教会においてはイースターエッグのみであり、異教の女神と色濃く結びつくイースターバニーのほうは排除されてしまった。

こうした背景の中で、米英を中心とする西欧世界ではイソップ物語や不思議の国のアリスなどに登場するウサギのように、秩序からはずれた存在をあらわす役目をあてがわれ、あわて者、怠け者、異界へ誘う者、トリックスターとして描かれてしまうことも多い。

天敵の多いアナウサギは生き残りのために発情期をなくして年中生殖行為が可能である。 (一方ノウサギの発情期は春先から秋であり、発情の始まった3月頃のオスのウサギが落ち着かなくなる様を指して「三月ウサギ」というイギリスのことわざが生まれた。)
年中発情している獣はヒトとウサギ(アナウサギ)くらいであるというイメージから、性的誘惑のシンボルとしてウサギが選ばれ、大人の世界のディズニーランドというコンセプトを目指した米国の高級ナイトクラブであるプレイボーイクラブのウェイトレスの正式なコスチュームとして1960年に採用され、カジノやバーなどで女性コスチュームに広く採用されるようになった。


この説明を踏まえると、過越祭や復活祭は「受精・受胎拒否(禁止)期間がもうすぐ終わるー!また受精・受胎が出来るー!!」という祭りのようにもとれる。
春が来て発情の季節を迎えた、ということでノウサギちっく。

もうひとつ考えられるのが、妊娠期間から解放されたということである。
昔の人は「妊娠中には慎みなさい」と教えていたのではないだろうか。
今は種は入れてはダメ、あなたはまだ母ではないのだから(出産を迎えていないということ)、新たに母になろうなんて思わないこと、とかなんとか・・・。
妊娠中からの情操教育などと言ってクラシック音楽など聞かせても、発情して乱れたら意味ないわけですよ。
子宮の中にいる赤ちゃんはもうびっくり、生きた心地がしません、とかなんとか・・・。

そうでなければ東(East)に何らかの意味があるのだろう。
eastはOld Englishのēast(東)より。
同系語として、オランダ語:oosten、ドイツ語:Ost、フランス語:est、スペイン語:este、イタリア語:est がある。
ひょっとすると「東の人達」という語がEasterなのかもしれない。


近現代の世界は聖書で出来ている

一時代を築いたと形容される人物がいるけれども、イエス・キリストは西暦の起源(紀元)である。
一時代もすでに2015年経過。
イスカリオテのユダも天国で「あのイエス・キリストがねぇ・・」と言っていることだろう。
数字がコロコロ変わることなく通し番号みたいで分かりやすく、世界的にも比較しやすいと言えばその通りだが、非常に長い一時代である。
もっとも西暦ができたのは6世紀で、世界的に広まったのは19世紀だというから、そういう意味では歴史は浅い。
過ぎし日も西暦換算するから長いように感じるだけなのかもしれない。

西暦とは、イエス・キリストが生まれたとされる年の翌年を元年(紀元)とした紀年法である。ラテン文字表記はヨーロッパ各国で異なるが、日本語や英語圏では、ラテン語の「A.D.」又は「AD」が使われる。A.D.又ADとは「アンノドミニ (Anno Domini) 」の略であり、「主(イエス・キリスト)の年に」と言う意味。西暦紀元、キリスト紀元ともいう。
既に2000年余りが経過している西暦は、1800年ころからキリスト教国家を中心に広がり、現在において世界で最も広く使われている紀年法となっている。


イエス・キリストは新約聖書の人である。
聖書には旧約聖書もある。旧約聖書の時代は紀元前ということになる。
「約束の地」や「イスラエル」の話は旧約聖書に書かれているものだ。

民族宗教ユダヤ教の聖典タナハでは、パレスチナの地は神がイスラエルの民に与えた約束の地であると説かれ、このためヘブライ語では「イスラエルの地(エレツ・イスラエル、Eretz Yisraël)」とも呼ばれるようになった。のちにユダヤ教から分かれてキリスト教が興ると、その聖地として世界中の信徒から重要視されるようになった。さらに、ユダヤ教・キリスト教の影響を受けアラビア半島に興ったイスラム教も当然エルサレムを聖地としたため、諸宗教の聖地としてエルサレムを擁するパレスチナは宗教的に特別な争奪の場となった。

中世以降の主要な住民はアラビア語を日常語とするムスリム(イスラム教徒)、キリスト教徒、ユダヤ教徒(ミズラヒム)である。前2者とごくわずかのミズラヒムが、近代以降世界各地から移住してきたユダヤ人に対して、パレスチナに在住するアラブ人としてパレスチナ人と呼ばれる


紀元前、パレスチナ付近にはペリシテ人(ペリシテ民族)が暮らし、ペリシテ文明が栄えていた。
その後はイスラエル民族が入植し繁栄した。
そこにちょこちょこ干渉したのがエジプトとローマ帝国とバビロニア(バビロン;現イラク)である。
イスラエル民族はイスラエル王国(イスラエル民族)とユダ王国(ユダヤ民族)で分裂したり、追い出されたりした。
旧約聖書では約束の地をパレスチナとは言ってない。パレスチナと命名したのはローマ皇帝であり、パレスチナという語はペリシテ人由来だそうだ。
イスラムが支配するようになったのは7世紀から。10世紀に一時十字軍が支配するものの、再びイスラムに奪われる。
十字軍から奪還したのはアイユーブ朝*のサラーフッディーンだった。
16世紀になるとオスマン帝国**が支配し、オスマン帝国ではパレスチナをシリアと呼んでいた。
前にも書いたが、これが動いたのが第一次世界大戦。つまり20世紀である。
シリアと呼ばれていたパレスチナはイギリス委任統治領となった。国際連盟に委任されたのがイギリスということである。名称をシリアからパレスチナに戻した。

*アイユーブ朝
エジプト、シリア、イエメンなどの地域を支配した スンナ派のイスラム王朝。シリアのザンギー朝に仕えたクルド系軍人のサラーフッディーン(サラディン)を王朝の創始者とする。

**オスマン帝国
テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国。


カナン!

現在、パレスチナ人と呼ばれる人はアラブ人である。
元々私達がここ約束の地に暮らしていたんだと主張する。
一方、その地は元々私達のものだったのだと主張するのがユダヤ人。
19世紀以降はユダヤ人がパレスチナに流入するようになり、シオニズムが盛んになって第二次世界大戦後にとうとうユダヤ人によってイスラエルという国が建国される。
しかしこのユダヤ人は紀元前のユダ民族にルーツがあるわけではなく、ユダヤ教の信仰者であれば誰でもなれるユダヤ人である。
イスラエル・パレスチナ地方(パレスチナ自治政府)のアラブ人と、イスラエルを建国したユダヤ人の争いが続いている。


「私達ユダヤ人からこの地を奪ったのはアラブ人。だから返して!」というユダヤ人。

アラブ人の前にはユダ民族が暮らしていた。

「ほらみなさい、ね、ユダヤ人でしょう。ここはユダヤ人のものなの!」というユダヤ人。

でも現在のユダヤ人とユダ民族はかなり違うものになっている。
そもそもユダ民族の他にイスラエル民族もいたのだ。両者はともにイスラエル民族だったのだ。

「だから国をイスラエルって名称にしたのよ。これで文句ないでしょ!」というユダヤ人。

しかーし、それより前にそこに暮らしていたのはペリシテ人だったのだ。

「は?聖書読まなかったの?神様はイスラエル人にあげるって言ったの、約束したのよ、ちゃんと。ペリシテ人なんて言ってないの!」というユダヤ人。

キリスト教自身が新約聖書にお墨付きを与えたように、ユダヤ教自身がお墨付きを与えたのが旧約聖書である。(こう言ってはなんだがどちらも客観性にかけるのでは・・・・)
それに何度も言うようだけれど、当時のユダ民族(ユダヤ人)と今のユダヤ人が違うわけで・・・・。


時代はすでにキリスト教ではなかったのか?

紀元前のローマ帝国は多神教だった。
かつてのローマ皇帝と現在のローマ教皇(ローマ法王)を同じものとして考えてはいけない。
バチカンは世界一小さな国(宗教国家)だけれど、ローマ帝国は世界最大(かどうか分からないが)大きな国であった。まだキリスト教が誕生していない時代である。
その中にあったユダヤ地方のユダヤ教(ユダヤ人)は独自性と排他性と主張の強さなどが相まって問題児だったのだ。
ユダヤ教(ユダヤ人)からイスラエルやユダという名を取り上げてパレスチナと名付けたのは、紀元前のローマ皇帝である。
「そこは元々ペリシテ人が住んでいた所でしょう!」ということをユダヤ教(ユダヤ人)に分からせるための名称だったのだろう。
「そう言えばそうだね。じゃあ他に行こう」というユダヤ人がいたり、問題行動に対する荒療治にも効果があったりしてユダヤ教(ユダヤ人)は離散した。

それから長い時間が流れた。
ローマ帝国の皇帝の時代からキリスト教のローマ教皇の時代へと移り変わった。

ユダヤ人を迫害したというナチス・ドイツのヒトラーは第二次世界大戦の人だから、長い歴史の中では最近の人だ。
なぜユダヤ人だったのだろうか?なぜユダヤ人に怯える必要があったんだろう?
ヒトラーが迫害したユダヤ人とは、現在のユダヤ人定義と同じように、ユダヤ教の信徒メインなのだろうか?

鷲の国章


国章。
左から、エジプト・アラブ共和国、イラク共和国、パレスチナ自治政府。


ほぼ同じ紋章。鳥は鷲(わし)。鷲を国章に使っている国は多い。
金色の鷹は「サラディンの鷹」とも呼ばれ、12世紀にサラディンによって使用され、20世紀の汎アラブ主義のシンボルとされた。

サラディンとは上に書いたアイユーブ朝(エジプト、シリア、イエメンなどの地域を支配したスンナ派のイスラム王朝)の始祖のことである。元はシリアのザンギー朝に仕えたクルド系軍人であった。
十字軍からその地を奪還したイスラム王朝の始祖である。


国章。
左から、アラブ首長国連邦、シリア・アラブ共和国、ドイツ連邦共和国。


左の2つのわしは「クライシュ族*の鷲」と呼ばれるもの。
*クライシュ族
4世紀頃からメッカ近郊を勢力圏として遊牧および交易を行っていたアラブ人の部族であり、イスラム教の創始者である預言者ムハンマドの出身部族として知られている。その一方でクライシュ族はムハンマドの布教活動を迫害し続けたイスラームの敵対者でもあり、クルアーンの中にもクライシュ族はしばしば登場する。

この地方のいざこざの収拾はなかなか難しそうですね・・・。





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