愛情に飢え母親と反目…内気で繊細な「新国王」を慰め自己肯定感を高めた
PRESIDENT Online
東野 りかフリーランスライター・エディター
在位70年のエリザベス女王の逝去を受け、新国王となったチャールズ3世(73)。崩御直前まで現地に滞在していた英国王室ウオッチャーのフリーランスライター東野りかさんは「故女王と新国王は、母と息子でありながら非常に複雑な人間関係で反目し合った時期も。
内気で繊細なチャールズは、ずっと親に認められたい、愛されたい気持ちが大きかった。そうした心の空洞を慰撫し包容したのがカミラ妃でした」という――。
写真=AFP/時事通信フォトロンドンで開かれた式典に出席するチャールズ英国王(右)とカミラ夫人=2022年9月10日、イギリス・ロンドン
「To darling my mama(私の愛するママへ)……」
イギリスの新国王となったチャールズ3世(73)は、9月9日に初のテレビ演説を行い、母親の故エリザベス女王(享年96)に対して呼びかけ、感謝の気持ちを述べた。
このあまりにも有名な母親と息子は、ただの親子ではない。大英帝国の女王とその世継ぎであり、我々庶民からは伺いしれない複雑な関係だった。
女王である母は息子が一番愛情を欲した時期に公務優先であまりそばにおらず、一方の息子は、女王の意に背き、カミラ妃(75)との不倫やダイアナ元妃との離婚により国民から大きな反感を買った。
1997年、ダイアナ元妃がパリで事故死した時(享年36)、王室最大の危機を迎えたと言われ、息子は長らく最も人気がない王室メンバーでもあった。
この“親子であって親子でない”ような2人の軌跡を、故エリザベス女王の熱烈なファンである筆者が現地に住む人々の証言を基に紐解いてみたい。
逝去直前、静養先のバルモラル城周辺は安穏としていた
筆者は、女王が亡くなる2週間前に、静養先のスコットランド・アバディーンシャーにある「バルモラル城」の近辺を訪れていた。この城はロイヤルファミリーがいない時期であれば、一般人でも内部に入り見学ができる。
8月は女王が滞在するので見学はできない。正門の近くまで行くか、城の周囲の森の中の道を散歩するか、それぐらいだ。「もしかしたら女王が散歩に出て、運がよければ、お姿をちらっと拝見することができるかもしれない」と下心を持っていた。そして、これが生前の女王を拝見する最後のチャンスになるかもしれないとも。
筆者が、小学生の頃、女王は来日した(1975年)。テレビで彼女の姿が映される度、なんと気高い女性なのだろうと心を打たれたものだ。すでに女王は50歳近い年齢ではあったが、子供ながらに、女王の“凛”とした美しさにノックアウトされていた。周りの同級生にそれを伝えてもまるで理解されなかったけれど……。
あれから半世紀近く経ち、筆者は来日当時の女王の歳を超え、はるばる極東からバルモラル城近くにやって来た。勢い立って来たものの、観光客らしき人々が門の前で記念撮影をし、城の周辺は銃を持った2人の守衛が門前に立っているだけ。ずいぶんと呑気な警備体制だと拍子抜けがした。
門の近くにはコーヒーショップがあり「女王がここを通ることがあるのか?」とスタッフに聞いたところ、「さあ、出てくるかも知れないし、出てこないかも知れない」と、想定通りの答えが。結果的に女王の姿を拝見することができなかった。
しかし、これだけユルい雰囲気だから、女王の病状が深刻とは思われない。この夏がダメでも、クリスマスのご静養の時期にまたイギリスに来れば、拝顔するチャンスがあるかも知れないと楽観視していた。
スコットランドで崩御したことに大きな意味がある
9月6日には、リズ・トラス英国新首相の任命をバルモラル城で無事終えたばかりだった。メディアに配信された女王の姿はとても小さくなったように見えたが、母親のクイーンマザーは101歳まで存命だったから、健康な心身のDNAを受け継いでいるはず。その上コロナに罹患された時も見事に復活したのだから。
それなのに……。
「9月8日の午後、女王は崩御し、その数時間後にBBCからニュースが発表されました。チャールズ国王とカミラ王妃、女王の長女であるアン王女(72)はスコットランドにいたので臨終に間に合ったけれど、それ以外のロイヤルメンバーは間に合わなかった。それでも、女王が愛し信頼する長男夫妻と長女に最後に会えたので、安心して天に召されたのではないでしょうか。あくまで私見ですが、女王はバルモラル城で最期の時間を過ごしたい、そうすればスコットランドの人々に寄り添えると思っていらっしゃったのではないでしょうか。命ある限り国に奉仕された姿勢には尊敬の念しかないです」
とコメントするのは、イングランド中部ダービーシャーで日本人補習校の校長を務める佐藤実佐子さん(50代)。
スコットランドとイングランドには長い闘争の歴史と確執がある。今、スコットランド独立の機運が再び高まっているなか、佐藤さんが言う通り、女王がこの地で崩御した意味は大きい。
そして、愛し信頼する長男と長女に直接別れを告げたことも。しかしお互いにこのような関係を構築するまで、どれだけ時間がかかったことだろう。
女王の死=チャールズ国王の誕生…この複雑な親子関係
女王には4人の子供がいる。
女王が21歳で故フィリップ王配殿下と結婚してすぐ生まれたのが、チャールズ(以下敬称略)とアンの2人。そして女王が30代半ばの時に生まれたのが、アンドリュー(62)とエドワード(58)だ。上の2人と下の2人では、同じ子供であっても、どうやら可愛さの種類が違うと思われる。
チャールズとアンの場合は、後継者を産まないといけないという義務感もあって出産、そして彼らがまだ小さい時に準備期間もないままに即位と、とても慌ただしかった。要するに若い女王には母としての余裕がなかった。
「人生が短かろうが長かろうが、一生をイギリス国民と英連邦の人々に捧げる」
イギリス内の書店には故女王関連の本が陳列されていた
そう宣言した女王は、その言葉通り、君主としての義務を何よりも最優先した。まだ幼かった子供たちを置いて長い外遊にも出た。
一方の下の2人であるアンドリューとエドワードは、女王としてのキャリアを積んでから生まれたのだ。
母としても女王としても余裕がある時期に授かった子供たちであり、後継者でもないので、シンプルに可愛いのだろう。女王は生前退位をしないので、彼女の死=チャールズ国王の誕生となる。ここに母と息子の複雑な関係性の源がある。
親の愛に飢えていたチャールズ
女王の夫・フィリップ王配も、内気で繊細なチャールズに厳しかった。
ギリシャとデンマーク王家の血を引く生まれながら、財産もなく両親の愛を知らずに育ったフィリップ王配は、叩きあげで海軍中佐にまで出世した軍人。骨の髄まで軍人気質、かつマッチョな性格で、チャールズにも同様に強くあってほしいと願っていた。
※写真はイメージです
教育面もしかりだ。チャールズは上流階級の子弟が通うイートン校への入学を望んでいたが、フィリップ王配は自身の出身校であるスコットランドのゴードンストウン校に無理やり送り込む。こちらは上品なイートン校と違って、中流階級の子弟が多くバンカラな校風。弱々しくておとなしいチャールズは同級生から相当いじめられたらしく、当時のゴードンストウンを「監獄のようだった」と彼はコメントしている。
周囲に忖度せずにはっきりとモノをいうフィリップ王配は、自分に似て活発な「アンがお気に入りだ」と公言していたし、女王は女王で、次男のアンドリューがお気に入りというのは、暗黙の了解だった。チャールズは、親に認められたい、愛されたいという気持ちが大きかったのではないか。
愛していますか? の問いに、微妙な反応のチャールズ
だからこそ、おおらかな気持ちでチャールズを包み込んでくれたカミラに惹かれたのは、想像に難くない。
「しかし、次期国王の結婚相手として当時のカミラ妃はふさわしくないと思われていました。英国王室は、ドイツ、デンマークなどの外国から妃や王配候補を迎えることがそれまで多かったのです。例をあげると、ビクトリア女王の夫のアルバート王配やエリザベス女王の祖母はドイツ系でした。チャールズ国王の妃にも外国のお姫様が望まれていましたが、その時に釣り合う女性がいなかった。20世紀はヨーロッパの王室がどんどんなくなっていましたしね。それで国内の貴族のお嬢様たちに妃候補として白羽の矢が立ったわけです」
と語るのは、イギリスで30年以上にわたりガイドを行なっている塩田まみさん。イギリスの近世史に非常に詳しい。
現地の雑誌も英国王室に関する特集を組んだ
「カミラ妃は、父親が陸軍少佐で母親は男爵家の出身ですが、身分的にはかなり見劣りがします。しかもカミラ妃はのちに結婚した社交界のモテ男、アンドリュー・パーカー・ボウルズとも交際していましたから、男性との交際歴も豊富。そういう女性は妃にはもってのほかです。しかもちょっとごつい感じの男顔で、正直、美人とは言い難いタイプ……」(塩田さん)
一方のダイアナは、王室とも関係が深いスペンサー伯爵家の令嬢であり、異性と交際歴がない無垢な19歳(婚約当時)。素晴らしい容姿の持ち主で皇太子妃としても華がある。ダイアナとの結婚を促したのはフィリップ王配とも、父親のように尊敬していた大叔父ルイス・マウントバッテン卿とも言われる。学校も結婚も、意に染まないものを押し付けられたチャールズの気持ちはいかばかりか……。
それでも、IRA(アイルランド共和軍)のテロによってルイス・マウントバッテン卿が暗殺されたショックを慰めたのは、ダイアナだった。
チャールズは「ダイアナをそのうち愛せるようになると思う」と友人に漏らしていたと伝えられている。しかし、婚約会見で「お互いを愛していますか?」という記者からの問いに対し、ダイアナは「もちろん愛しています」と即答。チャールズは「はい。でも愛の種類がどんなものかにも寄りますが」という、非常に面倒くさい答え方をしている。ダイアナにとって「は?」という気持ちだったに違いない。彼女の嫌な予感は的中する。
チャールズに対するカミラの包容力は遺伝か?
そもそもチャールズとダイアナは基本的に相性が悪かった。
学究肌で芸術と田舎を愛する30歳過ぎのチャールズと、勉強嫌いで都会好き、夢見るティーンネイジャーのままで嫁いできたダイアナでは、すべてが噛み合わない。しかもオーストラリアなどの英連邦諸国に夫妻で外遊に出ても脚光をあびるのは常にダイアナであり、チャールズは地味な扱いでまるで刺身のツマのよう。
カミラの方が一緒にいて楽しいし、話も趣味も合うし、自分を立ててくれる。となると、ダイアナよりカミラの方が「やっぱり愛している」となるのだろう。チャールズの幼い頃から決定的に欠けていた自己肯定感は、カミラによって埋められた。「あなたはあなたのままでいい」と思わせ、男性としての自信も持たせてくれる。
写真=AFP/時事通信フォト
ロンドンで開かれた式典に出席するチャールズ英国王(右)とカミラ夫人=2022年9月10日、イギリス・ロンドン
前出の塩田さんは言う。
「出自でいえば、カミラ妃はダイアナ元妃に比べてかなり下流の家柄にはなります。でも、彼女の曽祖母はアリス・ケッペルという、ビクトリア女王の息子エドワード7世のロイヤルミストレス、いわゆる愛妾でした。エドワード7世にはもちろん正妻がいましたが、アリス・ケッペルの方を熱愛したのです。つまり、カミラ妃は遺伝的に国王に愛される資質を持っているのでは、と推測されます。それに前夫のアンドリュー・パーカー・ボウルズは王室を守る軍人でもあったので、臣下として王室との付き合い方も心得ていたと思います」
アリス・ケッペルは、ロイヤルミストレスとして身分をわきまえ、エドワード7世の妃とも“うまく”やっていた。エドワード7世も、ビクトリア女王の在位が長かったため、長すぎる皇太子の期間を送った人だ。アリス・ケッペルもカミラも、偉大な母親を持って萎縮しがちな息子を慰撫し包容できる才能の持ち主だったのだ。
夫の浮気を見て見ぬ振りなどできないダイアナ
一方のダイアナは、カミラに比べれば自己愛が強すぎたし、夫の愛人とうまく付き合うなどという気持ちはなかったに違いない。女王からすれば、チャールズとダイアナには「次期国王夫妻として、どうしてうまくやれないのか? うまくやろうとしないのか?」といういらだちがあっただろう。
とはいえ、子供というものは親の希望通りには生きてくれないものだ。ましてや嫁はなおのこと、姑の思う通りには立ち回ってくれない。親が離婚し不幸な幼少期を送ったダイアナもまた、チャールズと同様にパートナーからの確かな愛が欲しかった。1960年代という、女性の地位が向上した自由な時代に生まれたダイアナは、夫の浮気を見逃すことなどできない。
女王自身も、一時期フィリップ王配の浮気に悩まされたこともあるらしいが、見て見ぬふりをしたようだ。なぜなら女王夫妻に離婚という選択肢はあり得ないから。夫は自分の元に戻ってくると確信していたし、実際に夫妻は70年以上も添い遂げた。しかも、女王の一目惚れで、周囲の反対を押し切って恋愛結婚ができたのだから、息子の不幸な結婚生活を理解できなかったのかもしれない。
「誰も悪くないんです。ダイアナ元妃もチャールズ国王もエリザベス女王も。当時の彼らの未熟さ、若さ、タイミングの悪さ、時代背景など、いろいろなことがあってうまくいかなかったのです」(前出・塩田さん)
ダイアナとチャールズ&カミラの対立を煽るメディア
塩田さんと同じように、ロイヤルメンバーの人間臭さを語るのはイングランドとスコットランドの国境沿いの街、ベリック・アポン・ツイードに住む投資家のマーク・ピアソンさん(60代)。筆者は女王が亡くなる直前に取材した。
「明らかなのは、彼らは王族である前に我々と同じような人間だということです。間違いを犯すこともあるでしょうし、チャールズ皇太子もダイアナ元妃も人間としての正直な欲求を貫き通しただけです。
その人間臭さにフィーチャーしたのがマスメディアです。メディアはダイアナがとにかく大好き。反対にチャールズ&カミラは嫌われ者。そういう対立構造を作った方が、テレビは数字が取れるし、新聞も雑誌も売れる。
チャールズは慈善事業をはじめ、環境問題や有機農法などに関心を持つなど、評価に値するさまざまなことをしているのに、気の毒な存在です」
マークさんは王室に特に関心があるわけではないが、冷静な分析をするインテリジェンスの持ち主だ。
「でも最近風向きが変わったようです。今年で96歳、健康に不安があるエリザベス女王の継承者としてチャールズ皇太子が適任であると、メディアはかきたて始めました。チャールズを飛ばして長男のウイリアムを次期国王に、という声もなくなってきましたね」(マークさん)
マークさんの指摘通り、女王の死後、チャールズ国王に期待する国民の声がどんどん高まってきたし、カミラも同様だ。女王は今年の2月に、カミラをQueen consort(王妃)に希望すると発表したことで、将来の王妃として認めた。それまでカミラの将来の称号はPrincess consort(国王夫人)としていたが、長年チャールズを陰になり日向になりサポートした努力がようやく実ったようだ。
チャールズのLongest Apprentice(長い修業)は終了
「イギリス人は、変わり身が早いというか、無駄なゴシップは叩かない性質のようです」と言うのは、イギリスに移住したビジネスマンの小高実さん(50代)。
女王崩御の後に訪れたシアターでは、黙祷の後にNational Anthem(賛歌)が流れたが、歌詞が「God save the King」(神よ、国王を守り給え)に変わったことに違和感を覚えたとも。「でも、そのうち慣れるのでしょうね」と少し寂しそうに笑う。彼のパートナーは、イングランド国教会の牧師である、ベン・ラットフォードさん(70代)。ベンさんは5歳の時に、テレビで女王が戴冠式を行う様子を見ており、いまだにその記憶が鮮烈に残っていると言う。そして女王の崩御も目にした。時代の大きな変革期の目撃者だ。
「私は牧師ですから、イングランド国教会の首長であった女王は、私のボスのようなものです。あれからずっと賛歌はGod save the Queenで、歌詞にもあるように女王の御代が永遠に続くように思っていました。でもいつか終わりが来ることを女王は誰よりも実感していた。その間、女王は公務をこなしながらも着々と準備をしていたのです。自身が戴冠式でかぶった王冠をチャールズ国王、その後はウイリアム王子へと渡すため、英国王室が長く続くための準備です。チャールズ国王にとってもLongest Apprentice(長い修業)でしたが、無事に終わったようです」(ベンさん)。
「去年はコロナに悩まされ、今年は物価高と不景気、頻発するストライキ、首相の交代と、国民が不安を感じる要素がイギリスにはたくさんあります。だから今こそ我々の心の支えである女王を強く必要とする時期です。女王が亡くなったのは非常につらいのですが、彼女の君主としての手腕や美意識をチャールズ国王はずっとそばで見ていた。そして女王と同様に『人生を国民に捧げる』と宣言した彼を国民は見直したようです」(小高さん)
一時期反目し合った母と息子。しかし、彼らは長い時間をかけてお互いを認め理解しあったようだ。息子チャールズ新国王は“愛するママ”から受け取った大きな使命を、まさに母がやった通りに果たそうとしている。
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東野 りか
フリーランスライター・エディター
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