第89代の兄・後深草天皇の子孫を「持明院統」、
第90代の弟・亀山天皇の子孫を「大覚寺統」といい、
この後、皇室が2つに分裂。
持明院統が北朝(京都)、大覚寺統が南朝(吉野)となり、
天皇が2人いる時代、南北朝時代に突入します。
(詳しい内容は、また別の機会に・・・・)
その南朝3代(歴代98代)天皇が長慶天皇です。
対北朝の対し、強硬路線をとっていたという長慶天皇ですが、
即位されたかが疑問視されていた為、歴代天皇に正式に加わったのは大正15年。
陵墓に関しては定まったのが、昭和19年です。
昭和9年の宮内庁(省)の「陵墓要覧」には「御陵未定」の文字。
治定された後に、鉛筆で「嵯峨東陵」と訂正されています。
その嵯峨東陵は京都市右京区嵯峨天竜寺にあります。
同域内に長慶天皇の皇子「承朝王」の墓もあります(写真右上)
しかし、ここには遺骸はありません。
歴代天皇に加えられ、その陵墓を探しましたが、不明。
候補地は全国20か所以上。
最終的に、息子・承朝王(相国寺30世 海門承朝)が、
父の菩提を弔うために創建した、慶寿院の跡地を御陵を定めたわけです。
観光地・嵐山が近いため、時々ですが、
観光客が顔を出す陵墓です。
一度、行ってみて
京都市右京区嵯峨天竜寺 嵯峨東陵