私の父は66歳の誕生日の翌日
癌で亡くなりました。
胃がんの手術をした時に担当の先生は
「まず大丈夫でしょう。定期的に検査に来て下さいね。」
とおっしゃったのです。
でもその先生は異動で翌年別の病院に転勤になり
別の先生に見てもらっていたのですが
春の健診ではなんともなかったはずなのに
6月に体調が悪くて病院に行った時には
「後3ヶ月です」と言われました。
どうしても納得できませんでしたが事実でした。
父の癌はスキルスであっという間に広がってしまったのです。
それからの父の苦しみようは見ていられないくらいでした。
寝ている時だけが苦しみから解放されるのです。
早く睡眠薬を欲しがって温厚な父が怒りました。
それまで父が怒った姿を見たことがなかったので
その苦しさ辛さがどれほどのものだったか・・・
思い出してもかわいそうで涙が出ます。
それでも最後まで人に気を使う父でした。
亡くなる3日前、だるくて上を向いて寝ていられない父は
ベッドにしゃがむようにして座り
だるさに耐えていたのですが
ダンナがお見舞いに来ると
「○○ちゃん、忙しいのに悪いなあ」
と蚊の泣くような声でダンナに言いました。
こんな時まで人の事なんて気にかけなくていいのに・・・
その時の父の姿は今も忘れられません。
父は誰にも優しい人でした。
もちろん私にもすごく優しい父でした。
母が弟命のような人でしたので
私はいつも父に甘えていました。
休日の朝、父が寝ていると
私は必ず父の布団にもぐりこんで父の横で寝ていました。
「お父さん、○○に連れてって」
「お父さん、○○買ってきて」
私の我儘を全部聞いてくれる父でした。
それでも結婚して自分が母親になると
どうしても話をするのは母とばかりで
父が電話に出ても
「お母さんに代わって」しか言わなくて
父と話をする事はあまりありませんでした。
今はそんな事すら悔やまれます。
今日は父の日です。
お父さんがいなくなって9年になります。
今日は一日父の事を思って過ごそうと思います。
癌で亡くなりました。
胃がんの手術をした時に担当の先生は
「まず大丈夫でしょう。定期的に検査に来て下さいね。」
とおっしゃったのです。
でもその先生は異動で翌年別の病院に転勤になり
別の先生に見てもらっていたのですが
春の健診ではなんともなかったはずなのに
6月に体調が悪くて病院に行った時には
「後3ヶ月です」と言われました。
どうしても納得できませんでしたが事実でした。
父の癌はスキルスであっという間に広がってしまったのです。
それからの父の苦しみようは見ていられないくらいでした。
寝ている時だけが苦しみから解放されるのです。
早く睡眠薬を欲しがって温厚な父が怒りました。
それまで父が怒った姿を見たことがなかったので
その苦しさ辛さがどれほどのものだったか・・・
思い出してもかわいそうで涙が出ます。
それでも最後まで人に気を使う父でした。
亡くなる3日前、だるくて上を向いて寝ていられない父は
ベッドにしゃがむようにして座り
だるさに耐えていたのですが
ダンナがお見舞いに来ると
「○○ちゃん、忙しいのに悪いなあ」
と蚊の泣くような声でダンナに言いました。
こんな時まで人の事なんて気にかけなくていいのに・・・
その時の父の姿は今も忘れられません。
父は誰にも優しい人でした。
もちろん私にもすごく優しい父でした。
母が弟命のような人でしたので
私はいつも父に甘えていました。
休日の朝、父が寝ていると
私は必ず父の布団にもぐりこんで父の横で寝ていました。
「お父さん、○○に連れてって」
「お父さん、○○買ってきて」
私の我儘を全部聞いてくれる父でした。
それでも結婚して自分が母親になると
どうしても話をするのは母とばかりで
父が電話に出ても
「お母さんに代わって」しか言わなくて
父と話をする事はあまりありませんでした。
今はそんな事すら悔やまれます。
今日は父の日です。
お父さんがいなくなって9年になります。
今日は一日父の事を思って過ごそうと思います。
小さいときは、ホントにお父さんっこで、大好きだったはずなのに、中学くらいから毛嫌いするようになっちゃって。。。なんでも母にって感じになってきてから、きっと父は寂しかっただろうな。。。って思います。
亡くなる3~4年前くらいから入退院を繰り返すようになって、当時、今思えば院内感染かもとも思います。C型肝炎でした。。。輸血で感染したのかもとも思ったり。。。まだ知識もなかったもんで、疑うすべもなく。。。
肝硬変にも2度なって、痛かったろうに。。。辛抱強い父でした。最後を看取ったけど、忘れられません。。。
今日、だんなちゃんのお父さんに感謝を込めて三木の地酒「葵鶴」を送り、夕飯前に電話で話して、元気そうな様子に安心しました。
お昼前に実家の仏壇にも手を合わせてきました。飾ってある笑顔の父に話しかけて、いつも守ってくれててありがとうねって。。。
思い出は消えることはないから、なおさんのお父様も天国からいつも見守ってくれていて、思い出の中に生き続けてくれてますもんね
そうそう、なおさん、今回のプレ企画は残念な結果に終わってごめんね。またこれからも色んな事を考えてるから、懲りずにお付き合い下さいね
スキルスだったんですよね。
亡くなられた今も、そうやって思い出すと涙ぐんでしまう。お父様も天国で喜んでおられますよ。きっと
そんな父娘関係って本当に羨ましいです。
なおさんにとって、いくつになっても、お父さんはお父さんなのですね。
私の父は健在ですが、私も「お父さん」大好きです。母親もですが、なかなか感謝を伝えたりする機会ってないですよね。
私は・・たぶん親不幸してると思います。
大学生の時から一人暮らしして、結婚してからも遠くに住んでる。帰りたいけど、やはりこちらの生活もあり、盆・暮・GWしか帰っていません。いつも申し訳ないなあと思っていますが、旦那の仕事が忙しくて不規則で、置いて帰れないんです。いつも疲れているから、一人じゃ起きられないだろうと思って。。。
なおさんのお父さんは優しい温厚な尊敬できる人なんですね。今日は父の日ですね。私はほんとちょっとしたものを宅急便で送りました。自己満足ですが、喜んでくれて嬉しかった。
たぶん、子供が健康で幸せに生きてることが親の幸せなんじゃないかって思います。
なおさんのお父さん、娘さんが立派に生きててるのを誇らしく、暖かく見守ってくれてる、そう思います。
最後には臓器という臓器が殆ど癌に蝕まれていたとのことです。
とても優しいお父様だったようで・・・
1日お父様のことを思って過ごされたのを、天国で嬉しく見守ってくれたのではないでしょうか。
お互いに・・・
私の父は癌ではありませんでしたが、仕事柄生き方、亡くなり方は数え切れないぐらいみてきたような気がします。
時には父のことを思い出す日が必要なのではと思います・・・
この前・・・夢にリアルに父が出てきたので・・・気になって、電話したら、ピンピンしてました!!
やっぱり・・・生きている間に親孝行一杯しなくてはいけませんね!!
ある程度大きくなると父親と一緒にいるのも照れくさいしね。
でも一度だけもう私が勤めていた頃ですが父と腕をくんで歩いた思い出があります。
1回やってみたかったんですよ。
やっといて良かったです。
プレ企画、楽しかったです。
こちらこそこれからもヨロシクです。
今回自分のブログに書いてみました。
いつもいつも優しい父でした。
でも私は世の中の男の人の中で父が一番好きだったけど父は母の方が好きだったみたいです(笑)
でもせめて電話でお父様ともお話してあげてくださいね。
私のように後悔しないためにも・・・
癌の最期は本当に壮絶ですね。
私は父も母も癌だったのでその遺伝子を継いでいるだけに少し怖いです。
父はいつも穏やかに笑っている人だったので
きっと今も天国でニコニコして見ていてくれてると思います。