今日は三女と抗アレルギー剤をもらうため、内科に行って 帰宅し、昼食を準備し、いざ、食べよう、としたところに、ご近所の方がいらっしゃって。
ご高齢になり、ご夫婦共に、入退院を繰り返されているので、ゴミ出しや集積所の清掃当番、辛い時もあるのでは、と 気がかりながらも、お年寄り扱いされるようで お嫌かもしれないし、と 当番を代わったり、ゴミ出しをするのもできますよ、ということを伝えたいけど、親切とお節介の境界線、難しいし、と ここ数年、言い出せずにいました。
でも 先日、思いきって、お会いした時に お話ししてみました。
今は、大丈夫だけれど、辛くなったら、お願いしますよ、と おっしゃっていただいて、ホッとしたのですが、今日は、そう言ってもらえたことが、本当に嬉しく、離れて暮らす妹さんにお電話で伝えながら、こみ上げるものがあり、泣いちゃったのよ、と…。
私はまさか そこまで、とも思っていなかったのですが、してくれる人にとっては、ささいなことであっても、受ける側にとっては、感激し、忘れられない、ということ、あぁ、私にもあるなぁ、と思いました。
さらに。
実はね、と、1人で悶々と、ある方の仕打ちに耐え続けていますが、親しかった方々が、みな、相手の味方になった感じがしてしまい、恐くて、打ち明けられず、とても辛い孤独を感じていたのだそうです。
けれど、貴女に言葉をかけてもらい、生きようという力が湧いてきた思いだったの、と言われたのですが まさか そこまで、追い込まれた気持ちでいたとは 知らなかったので、正直 驚きました。
相手の方には 私もかつて ずいぶん悩まされましたが 自分だけでなく、転居してきた皆さんが同様であることが分かり、明るく挨拶だけはしますが、誘われても 避け続け 自然と距離を置きつつも いずれは、収まるだろうと、思っていたのですが。
もうその方も、81歳になり、さすがに収まったと思っていたのですが、今日、お話を聴いて、ますますひどくなってることを知りました……。
生きている限り 苦労はあるでしょうし、修行、修養は 続くものなのでしょうが、せっかくの人生…、素敵な年齢の重ね方をしている人を見習いたいものです。
辛い時には視野が狭くなり、ついつい自分のことばかり、になりがちだけど、幸せはめぐりめぐって、周りからもたらされるものが大きいです。
究極の利己主義は、逆に、自分にとって大切な人の幸せを願うもの…と、ある本に書かれていましたが。
だれかのために、ちょっとでも、手伝わせて頂けることがあるのは、幸せなことだし、さりげなく、それを実行している人に憧れますす。実践できたら、嬉しいでしょうねぇ。
今日は相手に仕返しをしたい、怒りを抱えて、聴いて欲しくて、いらしたのだそうですが、胸がスーっとして、怒りをおさめられそうなので、仕返しはやめます、と仰って帰られました。我慢を重ねていらしたのですから、すべてが解消されたわけではないでしょうが、3人に話を聴いてもらえたら、大抵のことは、どうにか、気持ちを落ち着かせることができる、と、これも、ある本に書かれていましたが…。
少しずつ、心の中の辛さ、重たさを外に出して、軽く柔らかな心に戻れますように祈りました。
私には子ども達やお友達が今はいて、話を聴いてもらえるけれど、いずれは、子ども達も別居になるかもしれないし、お友達には、誘ってもらえている今は助かっているけれど、自分から誘うのは大の苦手だから、この孤独感、他人事ではないのです…。
午後はお友達とお茶をし、買い物に行き、大好きなお友達のレジで会計してもらい帰宅しました。
今日も… お友達は、あたたかな やさしさと、笑顔で、包んでくれて…。
心ほわほわにしてもらえました。
会いたいと願っても、時間が合わなければ無理な時もあるので…今日も お会いできたこと、感謝でした。
身体のメンテナンス同様に、心のケアをすることも、こまめにできたら、理想ですねぇ。
どうもありがとうございましたm(__)m(*^^*)
ご高齢になり、ご夫婦共に、入退院を繰り返されているので、ゴミ出しや集積所の清掃当番、辛い時もあるのでは、と 気がかりながらも、お年寄り扱いされるようで お嫌かもしれないし、と 当番を代わったり、ゴミ出しをするのもできますよ、ということを伝えたいけど、親切とお節介の境界線、難しいし、と ここ数年、言い出せずにいました。
でも 先日、思いきって、お会いした時に お話ししてみました。
今は、大丈夫だけれど、辛くなったら、お願いしますよ、と おっしゃっていただいて、ホッとしたのですが、今日は、そう言ってもらえたことが、本当に嬉しく、離れて暮らす妹さんにお電話で伝えながら、こみ上げるものがあり、泣いちゃったのよ、と…。
私はまさか そこまで、とも思っていなかったのですが、してくれる人にとっては、ささいなことであっても、受ける側にとっては、感激し、忘れられない、ということ、あぁ、私にもあるなぁ、と思いました。
さらに。
実はね、と、1人で悶々と、ある方の仕打ちに耐え続けていますが、親しかった方々が、みな、相手の味方になった感じがしてしまい、恐くて、打ち明けられず、とても辛い孤独を感じていたのだそうです。
けれど、貴女に言葉をかけてもらい、生きようという力が湧いてきた思いだったの、と言われたのですが まさか そこまで、追い込まれた気持ちでいたとは 知らなかったので、正直 驚きました。
相手の方には 私もかつて ずいぶん悩まされましたが 自分だけでなく、転居してきた皆さんが同様であることが分かり、明るく挨拶だけはしますが、誘われても 避け続け 自然と距離を置きつつも いずれは、収まるだろうと、思っていたのですが。
もうその方も、81歳になり、さすがに収まったと思っていたのですが、今日、お話を聴いて、ますますひどくなってることを知りました……。
生きている限り 苦労はあるでしょうし、修行、修養は 続くものなのでしょうが、せっかくの人生…、素敵な年齢の重ね方をしている人を見習いたいものです。
辛い時には視野が狭くなり、ついつい自分のことばかり、になりがちだけど、幸せはめぐりめぐって、周りからもたらされるものが大きいです。
究極の利己主義は、逆に、自分にとって大切な人の幸せを願うもの…と、ある本に書かれていましたが。
だれかのために、ちょっとでも、手伝わせて頂けることがあるのは、幸せなことだし、さりげなく、それを実行している人に憧れますす。実践できたら、嬉しいでしょうねぇ。
今日は相手に仕返しをしたい、怒りを抱えて、聴いて欲しくて、いらしたのだそうですが、胸がスーっとして、怒りをおさめられそうなので、仕返しはやめます、と仰って帰られました。我慢を重ねていらしたのですから、すべてが解消されたわけではないでしょうが、3人に話を聴いてもらえたら、大抵のことは、どうにか、気持ちを落ち着かせることができる、と、これも、ある本に書かれていましたが…。
少しずつ、心の中の辛さ、重たさを外に出して、軽く柔らかな心に戻れますように祈りました。
私には子ども達やお友達が今はいて、話を聴いてもらえるけれど、いずれは、子ども達も別居になるかもしれないし、お友達には、誘ってもらえている今は助かっているけれど、自分から誘うのは大の苦手だから、この孤独感、他人事ではないのです…。
午後はお友達とお茶をし、買い物に行き、大好きなお友達のレジで会計してもらい帰宅しました。
今日も… お友達は、あたたかな やさしさと、笑顔で、包んでくれて…。
心ほわほわにしてもらえました。
会いたいと願っても、時間が合わなければ無理な時もあるので…今日も お会いできたこと、感謝でした。
身体のメンテナンス同様に、心のケアをすることも、こまめにできたら、理想ですねぇ。
どうもありがとうございましたm(__)m(*^^*)