色々な局面で判断を迫られますが
通常の日々の仕事や家事に学門は経験からになるでしょう
専門的になるものはどうでしょうか
例えばスポーツ、野球に例をとってみましょう
バッターはピッチャーの投げるボールを距離18.4メートルの間にストレートなのか変化
球なのかを見極め打つわけですが
0.5秒位しかボールが来るまでないので手元に来てから判断していては間に合わない
ピッチャーの投げる手や肩の動きの癖でストレートか変化球なのかを見極める
さらに変化球でも10種類ある中から見極めたりします
しかしこの判断も最近は難しく、ピッチャーも癖を隠して分からないことが多い
そこでバッターはボールを読むことをする、配球からして次は変化球だなとか
しかしこの変化球もストレートとカーブだけなら半分の確立で読み安いですが
カーブだスプリットだと10種類位あるのを読むのは難しい
昨年亡くなられたアメリカの元メジャーリーガーのハンクアーロン選手は来るボールの95%は分かっていたと言われてました
もうここまで来ると直感ですね、読みや経験では補えず一流になれません
この直感は何処から来るか、それは禅で言う無の所から、物理学で言う統一場からです
この場に行く良い方法に瞑想があります
この無の所は野球に限らず色々な分野のあらゆる引き出しがあります
なのでこの無を手に入れて野球をやれば直感が良くなる、他の分野のことも直感が良くなる
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