先日女子体操選手のパワハラ告発がありましたが
日大のアメラグ部のことにしろ財務省でのセクハラまた文科省の汚職のあったことに共通するのは権力です
私は中学時代野球部に入りましたが1週間で退部したことがあります
先輩たちの権力の圧迫を感じ、まだ子供でしたから権力の力とは分かりませんでしたが(笑)
先輩の言うことは何が何でも絶対なんだというのが息苦しくて辞めたのを思い出していました
父親も東京六大学の陸上部にいましたがやはり父親が絶対なんだは同じでした、まあひと昔前は何処の父親も絶対でしたが、運動部は何処も同じところがあります
今まで大きな組織も小さな組織も運動部出身の人間が引っ張って来た、この一つの権力のもとに世の中を引っ張って来たと言っても過言ではないです
固く言えば今までこれで秩序が保たれて組織が運営出来き世の中が回って来たのですが今新しい秩序に移る時が来たようです
この権力と言う力は一つのエゴと言う欲ですが、その一つの欲の力で物事が動かされて行くことに皆が納得出来なくなってきた
新しい秩序とは一人の力で組織を牛耳るのではなく皆が意見を言いそれにより運営出来ることです
もう少し言えば今起きているこの辺のことはエゴから皆が納得する形へそして利他(他人に利益になるよう図ること、他人が満足することが自分の満足)へ変わるプロセスです
ともすると皆の反発は一人の権力と言うエゴへの個人個人のエゴをぶつけることにもなります
そうではなくこの告発等が皆のために立ち上がったものならば下記のことへ向かって行きます
私たちは何に向かっているかというと
個人個人が物も能力も人間自体共に豊かであることに気が付き、生命は永遠で死ぬことはないことに目覚めることにです
これに目覚めないとエゴと言う欲から脱して利他へは行かない
自分が満足することが先行して他人のことは後、ともすると自分の満足を得るのに他人を犠牲にしてまでも得ようとする
今回の告発等が皆が納得出来て皆が自由に伸び伸びと力が出ることを願っての告発であればエゴから利他になります
自分に力がない豊かではないあるいは自分に制限(自分は永遠に生きられない有限だと思うと)があると思うと人より有利にいたいその一つの表れが権力等の形をとりエゴに走る
それに反発が起こりこれらの問題が出て来たわけですが
新時代確立にはこのような問題提起はまだ増えるでしょう
新時代は権力欲的エゴまたそれに反発することが有りながら利他になって行きます