二年半孫は乙女に変貌す
正月は笑顔ばかりを残し過ぐ
久しぶりに車から降りた孫娘を見たとき「あら、まぁ」と、「この娘(こ)だれ?」と口に出た。末娘がすらっと少女らしくなって面差しまで変わっていた。
大学生になってもお化粧っけの無い姉孫も、落ち着いた大人の女性になっていたので、二人を灯りの下でつくづくと・・なかば呆れて眺めてしまった。
以前来たときは、お父さんを取り合って争った末っ子の「誰がそのようなことを致しましたでしょう」そんな静かさに唖然。
二年半ぶりの長男家族との再会を、私と次男はいっぱいの祈りの中で待っていた。コロナ、積雪による道路事情などにハラハラと・・。問題が無いのは良いことだけれど、問題が多いほど沢山イエスさまと交わって祈ることができるから、それはそれで素晴らしいことだけれど・・。
子や孫といると私は甘えてしまう。ため込んでいた老人扱いの不満のあれこれを嫁さんに訴えて笑ったり、慰められ味方されたり・・。
息子も嫁さんも話をよく聞いてくれるし、わからないことを尋ねると根気よく教えてくれる。これにはいつも感心するのだ。私にはできないことだから・・。
スマホのことで、「さっぱりわからん」、「もう一つ納得できん」、「これはどうするのだった?」、結局「覚えられん」を繰り返したとき、嫁さんは得意のイラストで説明してくれた。
今年の日記の初めの一筆はその嫁さんのイラスト解説、それで安心よくわかった。また忘れても見返すことが出来るのでもう問題はない。
天気予報とにらめっこで、コロナ予防に神経質になりつつも、お土産をいっぱい持って暮れに帰って来た。買い物に連れて行ってもらったり、嫁さんに台所の壁など面倒な掃除をしてもらったので、それは一年間ずっと眺めて嬉しい置き土産なのだ。
孫たちに頼みごとをするとすぐに手伝ってくれる。そう。スマホを持っていても・・、その様子に健やかさを感じたが、それでも、嫁さんはスマホの扱いに困惑していることを話してくれた。よくよく分かり、子育てが昔と比べて格段に困難な時代になったことに心から同情してしまう。
歳をとって料理にも失敗が多い。お煮しめは煮過ぎたし、たたき牛蒡の味も良くなかった。蒲鉾ばかり買いすぎたり・・なかなか思うようにはいかないけれど、誰も文句も言わずに食べてくれた。家族は甘く家族は温かい。
しかし、愛することとは心配することであり、後悔することだと家族が揃うたびに経験させられる。往復の道中にはらはらしたり、ああして上げれば良かった、こうして上げたかったとか・・。
そこでイエスさまに、「私の足りない分を満たしてください」とお祈りすることになる。そうしたら「何も心配することはないろう」と成長した姿を思い出させていただいて、感謝いっぱい床に就く。
そんなこんなの2022年の幕開け。
皆様には、本年もどうぞよろしくお願いいたします。