久しぶりで天理カナン教会への道を歩いた。植えたばかりの早苗が綺麗に並んだ田に静かなさざ波を立てている・・。
突然、2羽の鳥が「ケッケッケッ・・」と激しく鳴きながら飛び交い、思わず見上げた雨空にその姿を見たとき、先日息子が撮ってきたばかりの写真のまま、見知った特徴のある羽の色に「あ、ケリ・・」と識別することが出来てちょっと嬉しかった。我が家の近くでは見たことがなかったから・・。
途中で拾ってくださったsaltさんの車に乗せて頂いた時、「お久しぶりです。」って先に挨拶をされてしまって、私は少々狼狽えた・・。しなければならない挨拶の言葉が沢山あるはずだけれど・・どれもちょっとずつ違うようで、結局なにも準備出来ていなかったから・・。
昨夜、「明日礼拝に出席しても良いですか?」とメールをして、「待っています」というお返事を下さったので、ほっとして嬉しく出てきたのだった。
メッセージの間はずっと喜んでいた。なんども「アーメン」と主をあがめた。久しぶりに、近しく聴くみことばが浸みていった。

エペソ6章の武具、ダビデの武具、ゴリアテの武具それらは例えに過ぎず、
パウロの「キリストを着る」という言葉、「この身にキリストの焼き印を帯びているのですから。」(ガラテヤ6:17)という言葉によって、救われた私たちはイエスさまから焼き印を押された者であると、決して変質することのない私たちの立場について語られた。
救いの確かさを改めて深く知ることができて、目が開かれる思いがした。
帰りには送って下さる姉妹の車の中で、このことがどんなに素晴らしいことかと興奮して分かち合った。姉妹ともずっと会いたいと思っていたから、おしゃべりは止まらなかった。
今、先のことは私には分からないけれど、例えどんなに切迫している時であったとしても、「大事なのは新しい創造です。」なんだろうなぁ・・。
新しく生まれることを信じて待っていることは楽しみなことだから。ひとつの「終わり」だけれど、私には、主が何かを始めて下さるという希望がいつだってある。