石ころ

キリストご自身のバプテスマ ①(ヨハネの福音書1章)

 

さて、ヨハネの証しはこうである。ユダヤ人たちが、祭司たちとレビ人たちをエルサレムから遣わして、「あなたはどなたですか」と尋ねたとき、
ヨハネはためらうことなく告白し、「私はキリストではありません」と明言した。(19~20)

 

ヨハネがキリストについて明言出来るのは、彼自身が自分の役割を知って居り、母の胎に在るうちから彼の霊はイエスが神のキリストであると知っていたからである。

 

彼らはヨハネに尋ねた。「それでは、何者なのですか。あなたはエリヤですか。」ヨハネは「違います」と言った。「では、あの預言者ですか。」ヨハネは「違います」と答えた。
それで、彼らはヨハネに言った。「あなたはだれですか。私たちを遣わした人たちに返事を伝えたいのですが、あなたは自分を何だと言われるのですか。」
ヨハネは言った。「私は、預言者イザヤが言った、『主の道をまっすぐにせよ、と荒野で叫ぶ者の声』です。」(21~23)

 

ヨハネの言葉によって、多くの人々がバプテスマを受けるために集まって来ていたのである。パリサイ人たちは、これらのことに自分たちの権威が及ばない事を知って恐れたのであろう。
ヨハネに働く神の権威は、人の権威に依る宗教指導者には経験したことが無いものであった。

 

彼らは、パリサイ人から遣わされて来ていた。
彼らはヨハネに尋ねた。「キリストでもなく、エリヤでもなく、あの預言者でもないなら、なぜ、あなたはバプテスマを授けているのですか。」(24~25)

 

「誰が与えた権威によるのか」という問いである。彼らは神に仕える者でありながら、神の権威によって働くことを知らなかった。神がヨハネの言葉を用いて人々の心を揺さぶり、悔い改めのバプテスマに導くことを悟らなかった。それゆえ彼ら自身がヨハネにバプテスマを求めることも無かったのだ。

 

ヨハネは彼らに答えた。「私は水でバプテスマを授けていますが、あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます。」(26)

 

神に仕える人の中心に居られるキリストを彼らは悟らない。彼らは人の言い伝えに仕えて真の神を求めることもなく、人々の飢え渇きに指一本触れることもなく世に安住していたからである。

 

「その方は私の後に来られる方で、私にはその方の履き物のひもを解く値打ちもありません。」(28)

 

「あなたがたの知らない方」をヨハネは霊において知っており、そのキリストに従うバプテスマを施していた。バプテスマを受けた人々は主を愛し、主に覚えられて従順して行くのである。

ヨハネのバプテスマを受けに来ている人々は、飢え渇いてキリストを求めていたが、宗教指導者はキリストの義に渇くこともなく、救われることを待ち望んでもいなかった。

 

ヨハネはキリストと人の違いを「靴の紐を解く値打ちもない」と示したが、宗教家たちが奇跡を見ても、ことばにある権威に触れてもキリストを神と悟ることがなかったのは、彼らにヨハネの言葉がまったく残っていなかったからである。

 

その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。
『私の後に一人の人が来られます。その方は私にまさる方です。私より先におられたからです』と私が言ったのは、この方のことです。」(29~30)

 

「見よ」という言葉にヨハネの弾む心が現れている。「ご紹介しましょう!」と、人となって罪の世に来てくださったキリストを世に知らせた。そう、この日のために彼は生まれたのである。

 

私自身もこの方を知りませんでした。しかし、私が来て水でバプテスマを授けているのは、この方がイスラエルに明らかにされるためです。」
そして、ヨハネはこのように証しした。「御霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを私は見ました。」(31~32)

 

ヨハネはキリストを霊によっては知っていたが、今、聖霊の証のうちに人と成られたキリストの御姿を見たのである。彼はどんなにか感動したことであろう。


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