雨の日々は緑濃くなった山裾に、白糸ような途切れぬ雨をガラス越しに眺めてはため息していた。
雨が降ります 雨が降る
遊びに行きたし 傘はなし
紅緒のかっこの緒も切れた
あ~あ・・つぶやくように歌ったり、声を上げて歌ったり・・すると、遠い日の雨を思い出した。
あの頃は、子供が差して遊びに行くような余分な傘はなかった。それも重い番傘で、コウモリ傘などは子供のものではなく・・。
下駄も盆正月に買ってもらうくらいで余分にはなかった。桐下駄は軽いけれどチビって、鼻緒はよく切れたものだった。
雨の日は家に居るのがあたり前、日が暮れたら外に出ないのも当たり前。
窮屈なはずのそんな遠い日は、なぜか道に跳ねる雨の香りを覚えているほど生き生きしていた。
今は傘など何処の家でも色々あって、それでも新しい物を買う。でも・・新しい傘にそれほど感動することはない。
人は物に感動するのではなく、それを手に入れるまでのストーリィに感動するのだろう。
願い続け・・待ち続けて、沢山の優しさや、思いやりや、苦労があったことに感動するのだ。
だからどんなに物が増えてもそれで楽しくなったり、幸せになったりすることはなく、そのようなストーリィが今では一番の贅沢になってしまった。
今日は五月晴れ。体は重くても、心と足取りはそれなりに軽く久しぶりのウオーキング。
ウグイスの鳴き声に立ち止まり、見上げた栗の木のギザギザ葉っぱが瑞々しくて驚いた。ウグイスは、まあめったに見つけることがないけれど・・。
諦めてしばらく行くとまた頭の真上で鳴いた。立ち止まっては姿を求めて木々を見上げて、鳴き方が微妙に違うなぁ・・と聞きつつ歩いた。「ウグイスは合計何羽いたでしょう。」ふふふ
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