さて、人が大地の面に増え始め、娘たちが彼らに生まれたとき、
神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、それぞれ自分が選んだ者を妻とした。
そこで、主は言われた。「わたしの霊は、人のうちに永久にとどまることはない。人は肉にすぎないからだ。だから、人の齢は百二十年にしよう。」(1~3)
神が人を造られた時、神の霊はいつまでも人のうちに居られたので、本来人は永久に生きるはずであった。
人は神の意志によって生きるものであり、罪を知らず神と共に生きるいのちに、聖霊はとどまっておられすべてに満ち足りて完全であった。
しかし罪が蔓延り、神を離れてそれぞれ自分の善悪によって、肉の力のままに生きるようになった時、死ぬべきその命の猶予を神は120年に限られた。
もし、神の霊が去ったままに生きることがあるとすれば、それは人ではない。聖霊による救いの無い命が、肉の欲によって永遠に生き続けることは、おぞましいことだからである。
人は聖霊によらなければイエスを主と告白することは出来ず、イエス・キリスト以外に救いは無いのである。
神の御霊によって語る者はだれも「イエスは、のろわれよ」と言うことはなく、また、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。(Ⅰコリント12:3)
創造主なる神を信じない人にも命のある限り、聖霊によって救いの道が開かれている。神の愛と忍耐はイエスの御許に来るのを、命の限り待っていてくださる。
ただ、人は自分の終わりが数分後であってもそれを悟ることができない。キリスト者は聖霊による救いの「今」を逃さなかったのである。
もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。(ローマ10:9)