大好きな「運命」第4楽章にノリノリで・・、レンコンや人参の飾り切りをしている。
ベートーベンも、東洋の婆さんが台所の隅っこで野菜を刻みつつ楽しむとは・・思いもしなかったことだろう。
音楽は人を喜ばせ、力づけ、慰め、思い出を作り、時に涙を流させ、癒す力さえある。神様が備えてくださったこれもひとつの言葉。
どれほど貧しい者でも捧げられる賜りものは、主を喜びたたえる賛美歌。主に賛美を捧げて一番嬉しいのは歌っている本人。
ただ、どれほど美しい声であっても、主への喜びのない賛美歌はナチスの音楽だけれど・・。
息子の耳が聞こえないことを知った時、幼い我が子を抱いて「アイネクライネ・ナハトムジーク」を踊り、すべてのレコードを捨てた。
その後初めて買ったレコードが「ABBA」ステレオのスピーカーに手を当てて、振動によって音を知る訓練のためだった。
このレコードを選んだのは店員さんだったけれど、私はずいぶん元気をもらった。今も聞く度あの頃の苦闘も思い出すが、決して辛いだけの記憶ではないのは音楽の力なのだろう。
私は、息子の聞こえないことを通してイエスさまに出会った。だから私には彼の障害は祝福になった。
今はうっかり聞こえないことを忘れ、「聞こえないんだから無理だろう」と注意されて「あっごめん。忘れてた」ってことがある。
イエスさまはご真実なお方である。聞こえないことの保証を備えてくださらないわけがない。息子の賛美は心に溢れるだろう・・、主はその声を聞いていてくださることを知っている。
霊の賛美は何を歌っているのか自分でわからないけれど、主を喜ふ喜びが溢れていることは良くわかっている。
黒豆もほっくりと煮えたし田作りもパリッと仕上がった。数の子は塩抜き中。棒鱈だけは出来合を買って来た。流石にこれは無理。何しろすべて少量なのだ。お節は体に優しいので必ず作る。まあ、これらの野菜類が好きだから作っているのだけれど・・。
明日は第九を楽しみながらのお重詰めで今年も過ぎて行くだろう。
新年も皆様に主の御祝福がありますように
イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。(ヘブル13:8)
コメント一覧
ムベ
港町のカフェテリア・Chochin
ムベ
デ某
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事