石ころ

出発せよ ③(申命記)

 

あなたがたの神、主があなたがたを増やされたので、見よ、あなたがたは今日、空の星のように多い。
どうか、あなたがたの父祖の神、主があなたがたを今の千倍にも増やしてくださるように。そして、あなたがたに約束されたとおり、あなたがたを祝福してくださるように。(10~11)

 

モーセは目の前で見ている、空の星のように増えた民が主の祝福のすべてとは思わなかった。彼は神の偉大さによって全地に広がる民を思い描き、主のみわざを確信したのである。

モーセも人であり失敗も成功もあるが、主が彼を信頼しておられるのはこの信仰であろう。

 

どのようにして、私一人であなたがたのもめごとと重荷と争いを負いきれるだろうか。
あなたがたは部族ごとに、知恵があり判断力があり経験に富む人たちを出しなさい。彼らをあなたがたのかしらとして立てよう。(12~13)

 

モーセは人を治める知恵を舅のイテロから学んでいた。信仰のリーダーは主に仕える者であり、その交わりの中で聴いたみことばに専心する者である。
大切なことは多くは無く、日々に主に聴くみことばによって民を導くことは、彼にしか出来ないことである。

 

彼らはその地の果物を手に入れ、私たちのもとに持って帰って来た。そして報告をし、「私たちの神、主が私たちに与えようとしておられる地は良い地です」と言った。(25)

 

約束の地で見た葡萄は巨大であった。それは確かに「乳と蜜の流れる地」なのである。それを見るとき、みことばの約束を確信するべきものである。
しかし、その豊かさに「良い地です」と言うが、祝福のみことばを覚えていないとき巨大さが恐れとなったのである。

 

主が共に居られない時は見た目がすべてとなる。みことばに照らすことで、どのような環境の中でも、神の祝福を確信することが出来るのであり、敵がどのようであろうと、先立つ主の約束に拠って勝利を得る。

 

しかし、あなたがたは上って行こうとせず、あなたがたの神、主の命令に逆らった。
そして天幕の中で不平を言った。「主は私たちを憎んでおられるので、私たちをエジプトの地から連れ出して、アモリ人の手に渡し、私たちを根絶やしにしようとしておられるのだ。」(26~27)

 

人は恐れに囚われると、それまで経験した神の御わざを一瞬に忘れてしまう。
海が割れて歩いて渡った奇跡も、砂漠に水があふれ、育てもしないマナを食べた経験も、主に信頼することに役立たなくなり「私たちを根絶やしにしようとしておられる」と信じてしまうのである。

 

今キリスト者には、聖霊の働きによって「主を思い出させてくださる」という守りにあり、約束のみことばを思い出させて、永遠のいのちである主に留まる助けをたまわるのである。


ただ、そのためには主を覚える日々の交わりがあり、聖霊によって聴き続けるみことばがあってのことである。


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