石ころ

共に働いてくださる主 (マルコ16章)




 女たちも弟子もイエス様から復活のお話しを聞いていたのに、直ちに受け入れることができなかった。
なんと頑なだろうと思ったけれど、今みことばをそのままに信じきることが出来ない自分自身に、彼らと同じ不信仰を知った。

信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。
手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。(マルコ16:17~18)


 女たちは、イエス様のお体が朽ちないように守ろうと一晩中まんじりともせず、墓を塞ぐ石を転がす目当てもないままやって来た。
彼女たちのしたかったことは昔の習わしどおりに、イエス様の遺体に香油を塗ることだった。それが彼女たちの計画であった。

計画がみことばに基づいているなら、墓石が動かしてあるだけで悟ることができた。天使の説明にも「やはり!」と悟るだろう。
ありえないことが起こったとき、そこに主の働きを見ることができるのはみことばを思い出すからである。


 その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。(マルコ16:14)

しかし、幸いなことにイエス様の方から彼らに来てくださった。イエス様に叱られることにはなぜか甘さがある。イエス様が叱られる時は私たちを良く知って居てくださるからである。

それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。(マルコ16:15~16)


主が「信じない者は滅びる」とはっきりと語られた。だから、弟子はイエス・キリストを伝えるのである。
そのとき、主も共に働いてみことばの真実であることを証してくださる。それは私たちが証することではなく、私たちは真っ直ぐにみことばを伝える者である。

主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。
一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。(マルコ16:19~20)

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