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息子は中学では障害児クラス、3年間女性教師と一対一という環境だった。「お母さんが教えないでください、勉強は自分の力で1212アヒルの行列でよいのです」などという教師に預けることになった。
彼女はパフォーマンスばかりで教科をほとんど教えている様子はなかった。内緒で塾に行かせようかと塾を探したりもしたけれど、嘘をついたり隠したりそんなことを息子にさせたくはなかったので結局なにもせずに祈っていた。
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思い悩んでいるとき、未信者の方からこのエリの話を聞かされた。そのころは私も教会に通っていて、この箇所を知らないわけでもなかったけれど、彼女がこの話を突然しだしたときに心に響くものを感じた。そして聖書を読んだときその意味がわかった。このことは祈りの中にあるのだから人を見てはいけない、「神様に預けるのだ」ということを。今思えば、彼女の口を通して主が私を導いてくださったのだと思っている。
事実、3年間の忍耐を神様は無駄にはなさらなかった。私はその間「鼻から息をするものに頼らない」という教育を受けた。息子は毎日ひたすら本を読んでいた。それはその後の進学にとても大切な基礎となった。読み書きはすべての基礎。筑波技術短期大学で先生に国語力をほめられたけれど、それは中学のときの読書から得た力が大きいと思う。神様のなさることには少しも無駄がないことを身をもって知った。
サムエル記2章を読むたびにその頃のことを思い出す。
「 主は聖徒たちの足を守られます。悪者どもは、やみの中に滅びうせます。まことに人は、おのれの力によっては勝てません。」(Ⅰサムエル2:9)