石ころ

みことばの成就のために(ヨハネの福音書17章)

 

わたしはもう世にいなくなります。彼らは世にいますが、わたしはあなたのもとに参ります。聖なる父よ、わたしに下さったあなたの御名によって、彼らをお守りください。わたしたちと同じように、彼らが一つになるためです。(11)

 

すべては天地創造の神のものであり、イエスは御父のみこころを行って父のものを受け継ぐ方である。
イエスに救われ子とされたキリスト者も、みこころを行って御父のものを受け継ぐことになる。それはいのちである。すべてのいのちは創造主なる神のものであるから。

滅びから救われるべき名は世の初めから終わりまでただ一つであり、罪を取り去ることが出来るのはイエス・キリストだけである。それは天地創造の父なる神から御子イエスが従順を通して与えられた権威による。

 

イエスは神にキリスト者を「一つにしてください」と祈られた。それぞれ時代も国籍もタラントも、働く機能も違うキリスト者の一つとは御霊によって結ばれる一つである。

主と交わる者は、主と一つの霊になるのです。(1コリント6:17)

 

その一つは「わたしたちと同じように」とあり、父なる神と御子イエス聖霊の一つであり、驚くべき完全な一つである。人のわざには非ずイエスの祈りに拠って結ばれる関係であり、神によって守られる関係である。それゆえに人が解くことの出来ない関係である。

 

彼らとともにいたとき、わたしはあなたが下さったあなたの御名によって、彼らを守りました。わたしが彼らを保ったので、彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためでした。(12)

 

滅びの子となったユダによって聖書のことばが完成し、イエスはすべてのことを成し遂げて勝利を取られた。
しかしユダの働きは神によって定められたことではなく、終始自分で選び取ったことは明らかであり、ほろびの子となるのはイエスを知っていながらイエスよりも金銭を愛したことに拠るのである。

 

もし、ユダがイエスを選び取っていたら聖書は完成しないのか。いや、神はアブラハムやモーセの執り成しにも耳を傾けられた。
神を縛るものは存在せず何もご計画の妨げとはならない。神は真実なのでみことばは必ず果されるが、それは人の小さな脳みそで量ることは出来ないことである。

 

しかし私たちは良き運命を選び取ることが出来るように、福音を知らされているのだから、いのちであるイエスの言葉に信頼して、永遠のいのちの祝福を素直な心で選び取り、いのちをたまわって主を賛美することが出来るのだ。

 

わたしは今、あなたのもとに参ります。世にあってこれらのことを話しているのは、わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるためです。(13)

 

負いきれない罪の汚れを洗われて神の子とされた者に、イエスが期待しておられるのはイエスの喜びが私たちに満ち溢れるためであった。神の子らに溢れる喜びがイエスの十字架の傷跡を癒やすのだ。

 

わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではないからです。(14)

 

世に倣って生きて来た者が、世が拒絶したイエスにより頼んで生きる者となるとき、当然世の価値観とは相容れない生き方を辿る。それは滅びゆく世に倣う生き方ではなく、御国の望みに生きる者ゆえに、世に歩調を合わせることがなくなるからである。

 

彼らが世に生きる意味は、罪をあがない救いをたまわったイエスを宣べ伝え、イエスの救いが一人でも多くの人々に成就するために、たまわった役割りの十字架を負ってのことである。

 

わたしがお願いすることは、あなたが彼らをこの世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。
わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。(15~16)

 

キリストに救い出されて神の子とされた者は神の国の国民であり、世に生きる今も死を経た後も神の守りの中に安らぐ者である。
世でもイエスの祈りに拠って守られる神の子であり、日毎のみことばと祈りによるお交わりの中で、すべての必要を備えられて生きている。

 

真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。
あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。(17~18)

 

ことばなるイエスの祈りに在って、キリスト者は神のご真実を経験し続ける者である。神はご自身を否むことが出来ないお方ゆえに、聖書のとおりに天にも地にも実現する。

神が御子を世に遣わされたのは神の作品である人の祝福に拠ることであった。イエスが使徒たちを世に送り出されるのも、いのちの祝福が多くの人々に成就するためである。

 

わたしは彼らのため、わたし自身を聖別します。彼ら自身も真理によって聖別されるためです。(19)

 

キリスト者を聖くするものはイエスの十字架の血である。イエスは父なる神にご自身を完全に従わせて聖さを守られたゆえに、その血潮はイエスを信じる者をも聖とするのである。


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