石ころ

聖書(2021.01.22)

 

聖書はいのちの書。聖書があれば無人島に流れ着いても退屈することはないと思う。孤独で死ぬこともないと思う。
それは聖書に詰まっているみことばが生きて働くからであり、聖霊による神とのお交わりによって、キリストのいのちが満たされるからである。

 

聖書は儀式の道具のように用いられることもあり、聖書を抱えて家毎に訪問する人々もおられるが、それは異端と呼んでキリスト教とは違う組織である。
聖書の言葉を取り出して哲学や、文学や、他宗教の道具になっていることもある。

 

聖書は父なる神、御子イエス・キリスト、聖霊の神に導かれた人によって記された言葉であって、奇しい御わざによって神の存在を伝える書物である。キリストの愛と救いと裁きの書であり、救い主への従順を人に迫る書である。

 

人の理解を超えた聖書の言葉を骨抜きにして、人の賢さと感情に寄り添った言葉に変化したものは、いつの時代でもすんなりと人に受け入れられている。
仰々しい見世物としての聖書もあり、重々しい歴史を物語る聖書もあるが、人を救うのは、今朝開いて聖霊の交わりの中で主に導かれたみことばである。

 

使い古された聖書であろうと、買ったばかりの繰りにくいページをやっと開いて読んだ聖書であろうと、「アーメン」と主にひれ伏して受け入れたことばによって、御父なる神と、御子イエス・キリストと、聖霊の神のお交わりに与らせ、永遠のいのちに導き入れる書物である。


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