夜が明けると、民の長老会、それに祭司長、律法学者たちが、集まった。彼らはイエスを議会に連れ出し、こう言った。
「あなたがキリストなら、そうだと言いなさい。」しかしイエスは言われた。
「わたしが言っても、あなたがたは決して信じないでしょうし、
わたしが尋ねても、あなたがたは決して答えないでしょう。」(ルカ22:66~68)
宗教者は救い主を必要とはしていなかった。世を生きる方便としての、神の権威が必要なだけであった。だから、イエスさまのわざを見てもメッセージを聞いても、真理には堅く目を閉ざしていたのだ。
だからイエスさまが、「わたしがキリストである」と答えても、「信じますか」と尋ても、彼らの不信仰の罪が増すだけなのである。
「しかし今から後、人の子は、神の大能の右の座に着きます。」
彼らはみなで言った。「ではあなたは神の子ですか。」すると、イエスは彼らに
「あなたがたの言うとおり、わたしはそれです」と言われた。(ルカ22:69~70)
イエスさまはご自身を神の子であるとはっきり示された。言葉とわざによって・・。
人は、目の前でイエスさまのわざが行われても、直接のお言葉を聞いても、それによってキリストを信じ続けることはできない。
誰が聖書を一読して「神のキリスト」と信じ、自分のいのちと、世に持っているすべてをお委ねすることができるだろうか。
ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。(Ⅰコリント12:3)
主を呼び求める者のために、イエスさまは彼らの十字架を受け入れられ、死んで墓に葬られ、三日目によみがえって天に昇り、助け主である聖霊を送ってくださった。
このことは、世の始めに御父が準備してくださた福音である。人は聖霊によらなければ、イエスを救い主と告白することができないからである。
聖書は、冷たくてカチカチのアイスクリームのようなもので、聖霊によって解かされた部分から口に入れると、それはとても甘くて霊、魂、体に染み込んで、食べた人を養い成長させる。
堅いままでは食べられないから、溶けるタイミングを逃さないで口に含む、この最も美味しいタイミングは、アイスクリームを目の前に置いているからわかるのだ。
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