バランスのある空間

体のこと、心のこと、環境・空間のことの体験談!ワークショップ案内!自分が見たり、感じて想った事を書いてます

仙骨やじろべぇ

2016-04-28 20:00:32 | 心と体

あるクライアント様
最後に行うスラックライン

仙骨(尾骨)がやじろべぇのように感じる

とのこと
面白い感覚からのイメージです。
そういうイメージあってもいいですね~(^^)

どんどん無理がなく良い状態に感じる自分なりのイメージが湧いて、体を調整できるようになれればいいですね。

そして、その感覚からのイメージ、
今通われている水泳にも変換できるイメージが湧き
「水泳でも活かせそう」
という発想

その場その動きだけでなく、他のコトや動きにもその感覚やイメージが湧けば、その人自身の質が高まり、当たり前にその状態でいられる、戻せる、他のコトに変えられるようになれるのではと思います。


スラックラインとATMレッスンと子供たちと共創

2016-04-23 20:46:14 | 心と体

ダンサーのクライアントさんがスラックラインで体の統合してもらっているとき

揺れに合わせる体の動きが滑らかでした。
何か手脚が触手の様にウネウネと右手、左手、右脚(左脚)がそれぞれ

「バランスを取る(揺れに合わせる)」

ために意思とは関係なく動いているようでした。

 

さて、先日のフェルデンクライスATMレッスン で感じた

仙骨が寛骨流れ込むやら肋椎関節で肋骨が椎骨の中に流れていくようだったり、足から流れが背骨に伝わり首まで流れたりなど、

なんだか、水の中で水流が体のあちらこちらにある様でした。

 

明日スラックラインを屋外でやることで、そのダンサーの方の様にそれぞれが動けるようにとイメージと体への感覚の意識を持っていっている時

ふと、ダンサーの方の動きが水の流れのようで、それぞれが揺れの力が滞らないように流しているのではと思いました。

そしてATMレッスンでも、流れは滞るのではなく、体中に力を流しているようでありました。

また、その流れから思い浮かんだのは、家族で2年前に科学未来館で、チームラボの学ぶ未来の遊園地に遊びに行ったときの

メディアブロックチェア(映像はメディアブロックチェアの紹介です)

での子供たちの動きを思い出しました。

その時は4,5人全く面識もない子供たちがいました。

それぞれブロックを勝手に自分の場所としているところに持ってきて、繋げたり積んだりしていました。

ある時真ん中で、どちらが先か解りませんが、娘と別の子がブロックを繋げたり積んだりするようになりました。

それはお互い何かしようと言うわけではなく、各々が真ん中で積んだり繋げたりしているだけです。しかし別々に離れず繋がっている。

そうしていると、別の子供たちも集まりだし、真ん中で繋がりながらも各々ブロックを動かしている。さらに他のこのブロックを取っても、お互い気にもせず黙々と自分の成すことに集中してブロックを各々動かしている。

遠目で見ていると、それは生き物のように全体が動いているように見えます(なんだか動く作品を見ているようでもありました)。

しかし、子供たちは真ん中で繋がっているだけで、各々ブロックを繋げたり積んだり動かしている。

 

今思い出すと、子供たちの動きも流れで、しかもそれぞれが動く

そのダンサーの手脚

フェルデンクライスATMレッスンの時感じた、体の流れ

子供たちがブロックの動かしているコト

流れ” ”それぞれ(各々)”さらに同じ空間(体の中、メディアブロックチェアのブースの中)、 で成すべきことをしている

繋がりのように思えました。

子供達には好き勝手に各々動かしているので、成すべきことをしていないように思えますが、真ん中で集まり動かしているということは、意識してないけど繋がりブロックを通して、何か作り上げていく、動かしていくことを感じているのかもしれないなぁとも思います。

さらにこれも含めてここの目的が『共創』であり、共に創造し、共同で創ろうです。
実際の社会には、正解がひとつだけで、他はすべて不正解だという問題なんてありません。次々に新たに生み出すことが可能な無限にある解答の中から、他人が喜ぶ解答を創り出せば、それが新しい正解だという問題ばかりなのです。創造性は、インタラクティブで、はっきりとした境界があるわけではなく、様々な分野の相互作用で、明確な正解も不正解もない問題を乗り越えていくのです。

 

同じ空間で自由に動き、互いに影響与えながら共創していく

スラックラインの揺れに体という空間で、手脚が自由に動き、互いに影響を与えながら共創してバランスを取ろうしている

フェルデンクライスATMレッスンの動きに体(自分)という空間で、自由に力を流していき、互いに影響を与えながら共創して自分の動き(やマインド)の質を高める 

メデイアブロックチェアの空間で、子供たちが自由にブロックを動かし、互いに影響を与えながら共創して作品を創る、または作品に命(動き)を与える

と言えるかもしれません。

こういうことは、もっと大きな空間! 地域や社会でもできることなのでは想わされます。

 

チームラボの共創

 


生き方

2016-04-15 18:37:53 | 心と体

大病を何度かし、救急で搬送もされ、今は歩行が困難である人生の先輩のクライアント様といつも色々お話をさせていただいている。

その方は、病気などかなり困難ことがあったとしても、その起こってしまったことも、その後のことも人任せにはしない。

色々「あ~した方がいい」「こ~した方が良い」と言われるが、最終判断は自分で決めるとのこと。

その結果はどうなるかは解らない!

しかし、自分の体、自分自身は他人のものではない!

なので人任せでなんとかしてもらおうとする選択より自分で選択をするとのこと。

自分では何もせず誰かにしてもらういながら生きるのと(生かされるのと)

自分で決めていきながら生きるのと(生かされるのと)

では、『生き方』が違うような気がする。

自分で決めていきながらの選択であれば『生き方』は自分で変えられるということでもある。

 

 


体を通して体だけではなく

2016-03-26 16:07:49 | 心と体

体からのアプローチや体を通して行う

レッスンやエクササイズ、手技は沢山あります。

動きを変える、姿勢を変える、身体的パフォーマンスを上げるなど体(肉体的)の動き、姿勢、パフォーマンスという、『体(肉体)』に対することを目的にしていることが多いでしょう。

それは、とても大切なことではあります。

 

しかし、それだけでは足りないのかなと想うこともあります。


動きとは体のみの動きもありますが、人や物ごとに対する行いという動きもあります。

姿勢とは、体の姿勢もありますが、物事に取り組む姿や物ごとに対する立ち居振舞いなどの姿勢もあります。


パフォーマンスとは、体のパフォーマンスもありますが、プレゼンテーションや作業など人や物ごとを流れるようにするなどのパフォーマンスもあります。


このようなことはこれらだけではないですし、これら各々同じようなことであったりもして通じています。

 

体の動きのレッスンやエクササイズを通して、体だけでない考え方、捉え方、精神などにも波及でき、自身がその事を感じ知り、記憶されることも目的としてあるといいなぁと想う。


その目的は参加者に伝えなくてもよいと思います。ただ、教授する側がその事をはっきり、明確に自分の経験と学習して解って進められておれば、あとは受けとる側の参加者がどう捉えるかはその人次第なのだと思います。(完全に解ると言うことはないのかもしれませんが、今まで感じ知り学んだことで今解っているなかで進めるということです)。

教授側がそこの体験、体感がないとそこは伝えられないので、言葉や誰かの受け売りだけの「心と体が変わります」となり、それは伝わりにくい、真実味がない!

もしくはレッスンやエクササイズ、手技の「これを行えばこうなる」という言葉だけの鵜呑みをさせたり、そうなんだぁと思い込ませてしまうのかもしれませんね。(思い込みも大事な部分もありますが、本人が経験や体感があるからこそそう思えるのではないのでしょうか?また、それに固執してしまうことによりさらなる今からの経験、体感、学習による知り感じ解るを見えにくくしますね) 

また、体からのアプローチではない、心理的、精神的からのアプローチや通してでしたら、考え方や心理的や精神的な変化や捉え方に何か行うことはあると思います。

さらに体にもそれは波及しているということも目的としてあると良いなぁと思いますし、それはあることです。(これも行う側の経験、体感が必要でしょうが)


自分を高めるのも体を使う

2016-03-04 08:22:47 | 心と体

体だけじゃなくて自分を高めるのも、頭のみでなく体を使う(通す)ことでより記憶に影響し、イメージや感情の効果もより高められることを改めて体感させれた。

何となく私やその周りの道をより高めてくれる、開けてくれるような感覚があり、勝手に縁と捉え、全くの知らない分野の環境(避けてたと言った方がよいかも)、時間、お金など色々なことでチャレンジを迷い、戸惑っていましたが、とりあえず飛び込んでチャレンジしようと思います。

と小難しいことより、楽しそうだから(ワクワク感)やってみようかなということが一番ですが(^_^;)