ダンサーのクライアントさんがスラックラインで体の統合してもらっているとき
揺れに合わせる体の動きが滑らかでした。
何か手脚が触手の様にウネウネと右手、左手、右脚(左脚)がそれぞれ
「バランスを取る(揺れに合わせる)」
ために意思とは関係なく動いているようでした。
さて、先日のフェルデンクライスATMレッスン で感じた
仙骨が寛骨流れ込むやら肋椎関節で肋骨が椎骨の中に流れていくようだったり、足から流れが背骨に伝わり首まで流れたりなど、
なんだか、水の中で水流が体のあちらこちらにある様でした。
明日スラックラインを屋外でやることで、そのダンサーの方の様にそれぞれが動けるようにとイメージと体への感覚の意識を持っていっている時
ふと、ダンサーの方の動きが水の流れのようで、それぞれが揺れの力が滞らないように流しているのではと思いました。
そしてATMレッスンでも、流れは滞るのではなく、体中に力を流しているようでありました。
また、その流れから思い浮かんだのは、家族で2年前に科学未来館で、チームラボの学ぶ未来の遊園地に遊びに行ったときの
メディアブロックチェア(映像はメディアブロックチェアの紹介です)
での子供たちの動きを思い出しました。
その時は4,5人全く面識もない子供たちがいました。
それぞれブロックを勝手に自分の場所としているところに持ってきて、繋げたり積んだりしていました。
ある時真ん中で、どちらが先か解りませんが、娘と別の子がブロックを繋げたり積んだりするようになりました。
それはお互い何かしようと言うわけではなく、各々が真ん中で積んだり繋げたりしているだけです。しかし別々に離れず繋がっている。
そうしていると、別の子供たちも集まりだし、真ん中で繋がりながらも各々ブロックを動かしている。さらに他のこのブロックを取っても、お互い気にもせず黙々と自分の成すことに集中してブロックを各々動かしている。
遠目で見ていると、それは生き物のように全体が動いているように見えます(なんだか動く作品を見ているようでもありました)。
しかし、子供たちは真ん中で繋がっているだけで、各々ブロックを繋げたり積んだり動かしている。
今思い出すと、子供たちの動きも流れで、しかもそれぞれが動く
そのダンサーの手脚
フェルデンクライスATMレッスンの時感じた、体の流れ
子供たちがブロックの動かしているコト
”流れ” ”それぞれ(各々)”さらに同じ空間(体の中、メディアブロックチェアのブースの中)、 で成すべきことをしている
繋がりのように思えました。
子供達には好き勝手に各々動かしているので、成すべきことをしていないように思えますが、真ん中で集まり動かしているということは、意識してないけど繋がりブロックを通して、何か作り上げていく、動かしていくことを感じているのかもしれないなぁとも思います。
さらにこれも含めてここの目的が『共創』であり、共に創造し、共同で創ろうです。
実際の社会には、正解がひとつだけで、他はすべて不正解だという問題なんてありません。次々に新たに生み出すことが可能な無限にある解答の中から、他人が喜ぶ解答を創り出せば、それが新しい正解だという問題ばかりなのです。創造性は、インタラクティブで、はっきりとした境界があるわけではなく、様々な分野の相互作用で、明確な正解も不正解もない問題を乗り越えていくのです。
同じ空間で自由に動き、互いに影響与えながら共創していく
スラックラインの揺れに体という空間で、手脚が自由に動き、互いに影響を与えながら共創してバランスを取ろうしている
フェルデンクライスATMレッスンの動きに体(自分)という空間で、自由に力を流していき、互いに影響を与えながら共創して自分の動き(やマインド)の質を高める
メデイアブロックチェアの空間で、子供たちが自由にブロックを動かし、互いに影響を与えながら共創して作品を創る、または作品に命(動き)を与える
と言えるかもしれません。
こういうことは、もっと大きな空間! 地域や社会でもできることなのでは想わされます。
チームラボの共創