この間、野球のフトバングホークス王監督が辞めることになりましたね!実際お会いしたことも話したこともないですが、テレビで見て選手や色々な方が、ただお疲れさまでしたとかではなく、王監督のことを素晴らしく言います。また、小久保選手や松中選手は男泣きしていたくらいです!それほど信頼や人望があったのでしょう。私も監督を見て、威圧感がなく温かい感じがして、安心感があります。あまりテレビでそう感じることはないのですが、監督には感じました。こういうのを人格者というだろうなぁと私は勝手に思いました!
昨日講習会で、体幹(簡単に言いますと、首と腕をぬいた上半身です)を連動して、その力をほかの部分(腕や足など)に伝えるというものをやりました。
結構理屈より自分で感じるということが大事なので、難しかったですが体はすごく楽になり、動きも変わりました
「私たちは、腰、脚(足)、腕(手)、胸、首、頭など各部分で何事も説明しようとしますが、これは私たちが(解剖学で)勝手に部分分けをしているに過ぎず、または説明しやすいように区別をしているに過ぎません」ということを養老孟子さんの本で言っておりました。動きやまたは治療でも良く部分で考えることが多々あります(それはそれで必要なことではありますが)。
ここ何年間か体を使う訓練や今回の講習会などをやっていると、その言葉がわかる気がします。体はすべてつながっていて、連動しているということを実感します。そして、腕とか腰とか脚とかの部分の意識ではなく、骨盤から腰・胸・そして頭まで動きの連動ができます(腕や脚なども連動できます)。そういうときは部分の意識より、全体の動きの流れを感じました。
そして呼吸だけでも体は連動しておるのだということがわかりました。
もちろん部分の意識だけもできますが、しかしそれより全体をうまく使ったほうが楽ですし、自然な気がします。無駄な力みがなく動けますね。
ここで重要なのは力みがあると感じられなくなりますね(または感じにくくなります)
私ももっと表面だけの体を見るのではなく、中の部分の意識をしなければと改めて感じさせられました。(中の部分の意識はすごく難しいですし、微妙な感覚です〈意識をするより感じるというほうが良いでしょうか〉)
と書きましたが、講習では感じられないところもあったのも事実で大変でしたまた感じるより意識しようとして力んでしまうこともありました。患者さんに力んじゃダメですよと言っている自分が力むとは、体は単純ではありませんねそしてまだまだですね達人までは(達人は気が早過ぎでした、冗談です)
昨日友人と久しぶりに飲みました
色々これからのことや、自分はこういうことをやりたいなど、中身のある話ができました!
また友人から見える私の足りないところを指摘されたりして、とても有り難かったです。人から意見されるということは、年々少なくなってくるので、自分の思いが正しいと思いがちですそういったとき、長い付き合いで私のことを分かってくれて、人生経験を積んだ友人に言われるのは、凄く助かります。
充実した時間で、パワーをいただきました
先週の月曜から娘の熱が上がり、最初は風邪で1日で治ると思っていたら、3、4日高熱が続き、病院の診察で突発性発疹との診断でした
義理の母も泊まり込みで看病してくれましたが、ホント皆不安でした
38.3~39.5、6度を行ったり来たりだから、焦りましたね。ただ救いだったのは、ぐったりしてないで動けたり、食欲があったのは助かりました(皆寝不足にはなりましたが)。
私も治療しましたが、効果が少なかったです。もっと知識と腕を研かないといけないと痛感させられました。熱は発疹が出てたら治まってきました!毒素が出たのでしょう。
今日午前中かなり久しぶりに筋力トレーニングをやりました!
無理せず軽めにやり、またうまく体を使いながら、なるべく力まないで力を出せないかなど、トレーニングと同時に色々試したりしました(実際できてるようだったり、できてないようだったり、いまいちしっくりいかなかったですが!)。
ただ筋肉を鍛えるということでなくても、普段使ってない人は、筋肉に日常より強い刺激を入れるというのは大事だなと感じました!それは使うことにより筋肉に意識がいくようになるからです!終わってから、すごく脚がしっかりたてる感じがしたのと、体幹のバランスが安定した感じがありました
明日は筋肉痛になるでしょう