バランスのある空間

体のこと、心のこと、環境・空間のことの体験談!ワークショップ案内!自分が見たり、感じて想った事を書いてます

ハンモックヨガ

2016-02-10 23:14:21 | 日記
先日ハンモックヨガを受けてきました。

文が長い道のりです!!無理せずスルーしてください。

今回はスパイラルのラインをとても感じていたようです。
体の側屈でも背骨は捻れます。
ハンモックでの側屈のような動きでは、横に伸びるという表面的な部分だけでなく、深部の動きをハンモックが導いてくれているようでした。
(意識?感覚?の向けかたでその質は変わるのかなと思います〈骨を意識するのか、筋を意識するのか、皮膚など表面を意識するのかで違うのかもしれません〉)

また、ハンモックに腕を預けて体を伸展させる、伸ばすという動きでも、足から体を通り腕までスパイラルの動きを感じられました。
腕の伸びも腕が伸びるのではなく、今回は床の反力のエネルギーが足から腕、手先まで伝わるイメージが浮かび、そうすることで自分で力を入れるということがさほど必要でないことを感じ得ました。

今回は動き一つ一つさらに1つの動きから違う動きに変わるときに(ヨガでいうポーズが変わるときとでもいうのかな)、一旦止まりエネルギーが途切れると、次の動きのときまた力を使うエネルギーが必要で、エネルギーの変換が速やかでなく、しなやかで滑らかでない感じでした(1、2という感じ)。
これが一連の流れで動けると、前のエネルギの流れを速やかに変換でき、無駄な力はいらず、滑らかでしなやかで心地よく動けるのかなと想いました(∞という流れの感じ)。
一つ一つの動きの流れと共に、全体としての流れも大切なんだなぁ感じました。

人任せにしないで自分を知ること

2016-02-08 14:44:28 | 日記
良く、講習、講座、ワークショップなどで
参加者の方が
例えば腰について動作など何か行うとします。するとその前に
「腰が痛いのですがどうすれば良いのですか?」
「腰を傷めてるのですが大丈夫でしょうか?」
など、質問なのか何かを決めてほしいのか解りませんが、聞いてこられる場合があります

講師や指導者などの方は、その様なことに対して大体
「無理せず行ってください」
という感じで答えることが多いのではないでしょうか。

しかし、これって的を外れているように思えたりもします。

「無理せず・・・」

さて、無理なのかどうか自分の体ではないので、講師は決められません!
なので本人が自分や体と向き合い、感覚や状態を見つめ、やるのかやらないのかを自分自身で決めることだと思います。
そして、もしやれると思い行って、痛くなりそう、傷めそうと感じたら止めるという判断をしてもよいでしょう。
もし傷めたり、痛くなったとしてもそれは講師や指導者のせいではなく、自分の判断の結果ということのみであると思います。

さらに初めの「~痛いのでどうすれば・・・」
ということも、自分自身で自分や体などの状態と向き合ったり、見つめたりして行う、行わないを決めることなので、聞くことではないのではと思います。

すごーく長く書きましたが、何を言いたいかというと、何かをするとき自分や体と向き合い、状態を感じたりして、体や自分を解ることが大切で、そこで自分で判断できるようにすることが大切だと思います。
そのように常に自分や体を知っている、その状態を把握できるようになれれば、すぐに判断できるようになれると思います。

もちろん、講座、講習、ワークショップの内容や講師の力量などにも左右されるので、そちらはまたそちら側との関係、講師、内容の問題もあるとは思います。

今回はそこではなく、自分自身、自分の体は自分で判断できるようになれるとより良い、体の質、状態の把握、さらには自分というもの知る1つになれるのだと思います。

主義を変える

2015-12-28 16:49:59 | 日記
~主義
その時は合っていたとしても(と思えたとしても)

時間、時代が流れ変化したとき、そこに歪みが出たとしたら、今には合っていないということでしょう。

慣れたしかも信じた主義を変えるというのは、大変と思えるかもしれないし、その主義でなんとしたい、できると思えるかもしれない。
そして、変えたとしても上手くいくのかどうかはわからないなら、今のままの方がよく感じる。

しかし、このままだと手の施しようがないと気づいたり、このままでは良くないと感じたり、変えた方が良いかもと思うのであれば、変えるという方法もあるのではないでしょうか!

こうでなければいけないということはないのですから。
こうでなくてはと思わされている、はたまた知らないときからあって何の疑問も持たないまま過ごしているということで、その主義の上で動いていたり、動かされているのではないでしょうか?

身近なことや自分の目の前に突きつけられたら、反論や反発、議論や提案したりして、根本的な変化をしようと何かしますが、そうでないと案外気づかないものだと思えたことがありました。