私が通っていた小学校の校舎が解体されるということで、解体前の校舎に自由に入れるイベントがあり、行ってきた。
まず、同級生2人と最寄りの駅で待ち合わせしたのだが、その同級生と会うのは実に数十年ぶり。
なので、待ち合わせしても、互いに容姿は変わってるので、互いに気がつくかどうか不安だった。
実際、私は最初はわからなかった。
その2人同士は元々小学校卒業以後も交流はあったみたいなので、その2人の待ち合わせは問題なかった。
問題は私。
改札近くで話し込んでる2人の会話を聞き、会話の中で聞き覚えのある人名が出てきてたので、思い切って私の方から声をかけたら、無事に合流できた。
良かった。
で、昔話などしながら、小学校の校舎に向かった。
受付では自分の卒業した年、もしくは自分の生年月日を記す帳面があり、とりあえず自分の生年月日と名前を書いた。
さすがに比較的近年卒業した人の来訪が多かったが、中には私より年上の人もいたようだ。
私がその小学校を卒業したのは、今からかなり前なので、私や同級生の年代は来訪者の中では古い方だった。
で、記帳を済ませ、早速校舎の中へ。なにせ、その小学校に入るのは、何十年も前の卒業以来。ほとんど、存在そのものがタイムカプセルのようなもの。
この訪問で私が特に見たかったのは、校庭と教室。
教室はいくつもあったが、私が入りたかったのは、私の席があった教室。それと、音楽室、図工室、理科室など。
授業で実際に出入りしていた教室だから。私にとって馴染み深いし、1番記憶に残ってる場所。
多少ドキドキしながら実際にその学校の敷地内に入ってみたら、まず校庭がなかった。
かつて校庭だった場所には建設中の建物があり、それが校庭だった場所全体を占めており、校庭は事実上存在しないのと同じだった。
新しい校舎ができたら、校庭は別のスペースに確保はされるのだろう。
だが校庭を見たかった立場としては残念だったかな…。
校庭の景観の記憶は自分の中でかなり大きなウェイトを占めていたから。
次に下駄箱へ。ここは私が通っていた頃のままで、「ああ、こんな感じだったなあ」と思うと懐かしかった。
↑ 毎日使ってた下駄箱。これは今も昔のまま。私の靴の置き場は、この写真では、左側の手前あたりだったと思う。
そして校舎内に入り、階段を登り、私の席があった教室を目指した。
階段もまた、下駄箱室同様に昔のまま。おぼろげな記憶がよみがえってきた。
↑毎日、この階段を上り下りしていた。それは遠い昔のこと。当時の少年少女たちは、今では皆どうしているのだろう(笑)。
↑この階段を、サイボーグにでもなったつもりで、全段飛びで踊り場まで一気に飛び降りたものだった。今同じことをやったら、足の骨を折るかもしれない。良い子はマネしないように。
そして、目当てのひとつでもあった、教室のあるフロアに到着。
すると…教室には入れなくなっていた。どの教室も閉鎖されていた。
これは残念だったなあ。
自分の席のあった教室は、自分の記憶の中では目玉のひとつだったから、なおさら。
でも、入れないものは入れない。仕方ない。
入れないかわりに、壁にメッセージを書ける紙が貼られており、来訪者は母校への思いを自由に書くことができるようになっていた。
↑教室と廊下を隔てる壁には、ご覧の通りカーテンのように紙が貼りめぐらされ、教室の出入り口は封鎖されていた。
↑教室の壁全面に貼りめぐらされた紙には、この日の来訪者が自由に母校にあてたメッセージが書けるようになっていた。取り壊される校舎への、卒業生からの最後のメッセージがそこにあった。
教室を諦めた私は、音楽室や図工室などを目指して、長い廊下を歩いていったら、音楽室も図工室も閉鎖されていた。
↑家庭科室へ続く廊下。左側に保健室が見えている。
↑図工室。入口にはテープが貼られ、中に入れないようになっていた。中に入りたかったなあ。ちなみに、図画工作の時間では、授業中におしゃべりしてると、生徒は先生から口にセロテープを貼られた(泣)。
↑図工室の内部を撮ってみた。奥のテーブルには、石膏像が置かれていた。石膏像を見ると、どうも木炭デッサンを思い出してしまう。小学校の頃は木炭デッサンはやったことはなかったけど。
↑音楽室の入口。小学校時代、私は先生から誉められたことはほとんどなかった。ただ、音楽の先生からは、誉められたことがあり、嬉しかった。それは、私が音楽を好きになったきっかけのひとつだったのかもしれない。授業中に「だんぞう君、センスいいぞ」と褒めてくれた若い女の先生、水泳の授業の時の水着姿がステキだった。子供は、大人のそういう何気ない言葉や姿をよく覚えているものなのだ。
↑音楽室の中には、ずっとピアノがあったのだろうか。私を褒めてくれた、当時はまだ若かった女の先生、今もお元気なのだろうか。そうであってほしい。
↑ちなみに、右側にはトイレがあった。小学校時代、男の子は大の用足しは、しづらかったんだよなあ。男の子が学校でヘタに大のトイレに入ろうものなら、皆にからかわれかねなかった。その風潮、今もそうなのかな?
教室内に入りたかった。でも、…仕方ない。
都合、校舎内で自由に歩けるのは、廊下と階段くらいだった。
そのへん、すこし寂しかったかも。
できれば、教室の中や、そこから見えていた外の景色も見たかったが、当時窓から見えていた校庭は、建築中の建物でふさがれていたから、どのみち教室内に入れたとしても、窓からの景色は望むべくもなかっただろう。
↑怖い夢に出てきた鬼に見つからないように、夢の中の私はこの流しの下に隠れた。だが、こうして実際の流しを見ると、ここに隠れても鬼には見つかってしまいそうだよね。
↑けっこう殺風景な空間だよね、こうして見てみると。人がいないから、そう見えるのかもしれないけどね。
↑流し台から窓の外を見てみた。この写真は、後述する写真の伏線になる。
とりあえず、廊下の片隅にあった流し台は懐かしかったし、廊下の長さも懐かしかった。
子供の頃、夜の学校に入ったら、長い廊下の向こうから鬼がゆっくりこちらに向かってくる…という怖い夢を見たことがあり、その夢の舞台になってたのが、まさにその長い廊下だった。
暗い校舎の中で、長い廊下の向こうから怖い鬼がゆっくりと、ミシミシと足音をたてながらこちらに近づいてくる様は恐怖で、しかもその鬼は体全体が鈍く光っていた。
このまま何もしないでいたら、鬼に食われてしまう…そう思った私は、流し台の下に隠れ、鬼が目の前を通り過ぎていくのを見ている…そんな夢だった。
しかもその鬼はブツブツ呟いていた。「人を食らう鬼がやってきたぞ~」と。
流し台の下に隠れてる私の目には、通り過ぎてゆく鬼の足だけが見えていた。
と、まあ、こんな夢だった。その後この夢はちょっとしたトラウマになったのを覚えている。
で、今回その怖い夢の舞台となった現場に、数十年ぶりに来ている…そう思うと、なんともいえない気分になった。
たが、それはあくまで夢の中での出来事。現実のこの日のその現場は、来訪者でそれなりに賑わっていた。
↑当時私が見た怖い夢の中では、夜中にこの長い廊下の奥から、鬼がこちらにゆっくりと歩いてきたのだ。
さて。とれくらい校舎内にいただろう。1時間ちょいくらいだったかもしれない。見てまわれる場所は限られていたから、滞在時間はそんなものだったと思う。
校舎内はかなり蒸し暑く、校舎内を歩いていたら、冷房の効いた場所に移動したくなった。
喉も乾いてきた。
もう、このへんでいいかな。
なにより、校庭が塞がれていたことや、教室内には入れなかったので、長い廊下を私は出口方面に向かって歩きだした。
で、数十年ぶりに訪れた小学校を私は…後にすることにした。
去り際に、校舎内の正門で写真を撮ったりして。
↑学校の正門を入ったところ。ちなみに私は、こちらの正門からよりも、裏門から学校に入っていた。
↑学校の正門を出た場所から、さっき階段を登った校舎の外観をパチリ。前述の流し台から窓の外を見た写真は、この写真の中で向こうに見えている高い校舎の中の流し台から撮った写真だった。
小学校は、私が通ってたころのままの部分も残されていたが、変わってる部分も多かった。
思えば、学校だけでなく、学校前の商店街も、昔とはだいぶ変わっている。
これが時の流れの現実なのだろう。
私自身の容姿も昔とは変わってる。それと同じ。
今後この小学校は敷地はそのままでも、校舎や校庭などの作りや位置もリニューアルされ、まったく別の学校のようになるのだろう。
そして、リニューアルされたその小学校には新たな子供たちがなじんでゆき、それが今後の子供たちの母校になっていくのだろう。
取り壊される寸前の校舎に最後の別れを告げた後、私は少し同級生と喫茶店で休んだ後、解散し、帰宅した。
小学校時代というのは、私にとってはもう、かなり昔の時代であることを、今更のように実感した。この日は、そんな日であった。
さよなら、私が子供時代を過ごした古い校舎よ。
↑こちらは、裏門。私はいつもこちらの裏門から学校に出入りしていた。裏門からのルートだと、商店街に近かったからだ。商店街では、本屋で立ち読みしたり、文具屋やオモチャ屋で商品を物色するのに忙しかった(笑)。めったに買えなかったけど。
写真を見た感じでは、廊下や教室や備品もそんなに傷んでいないようで
もったいない気がします。
でも、耐震補強工事より直下型地震でも、びくともしない強固な校舎に改築した方が
長期的には、コスパが良いのかも知れませんね。
>子供の頃、夜の学校に入ったら、長い廊下の向こうから鬼がゆっくりこちらに向かってくる…
恐ろしい悪夢ですね。ちなみにボクは、理科室の人体模型が怖かったです。
あと、音楽室の世界の偉大な作曲家の肖像画、アレも不気味でした。
放課後、誰もいないのにピアノの音が聞こえたとか…。
将来、新校舎で電子黒板や学校内wi-fi、タブレット等の最新の設備で学ぶ
新入生たちの間でも21世紀の学校の怪談が、語られるのでしょうか。
もっと老朽化してるかと思ってました。
もしかしたら、定期的にリフォームしてたのかも。
近年地震がおおいので、耐震構造をあげておくのは大事なのでしょうね。
理科室の人体模型、夜の音楽室のピアノは、学校の怪談の定番てすね。
音楽室の作曲家の肖像画では、ベートーヴェンが1番怖い顔してました。
特にあの上目遣いで睨みつけるような表情には、暗さも感じてました。
学校の怪談には、世相も反映されてます。
その意味では学校の怪談は、新しい校舎では、どのように語り継がれていくのでしょうね。
中学だけでなく小学校も消えてしまうのですね・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=Yh3N-4jKeJc
(ある方もこのだんぞうさんの音源でアップされていますね)
そうなんです、今度は小学校まで校舎が解体されてしまうのです。
ただ今回は、小学校そのものは同じ場所に存在し続けます。
ただ、校舎や敷地内レイアウトは一新されるようです。でも卒業生にとっては、自分が通ってた校舎や校庭がなくなってしまうのは、さながら母校がなくなるようなもんです。
私の曲に映像をつけて下さる方が、他にも現れるなんて、光栄の至りです。