だいたい、歌というものは2~3番くらいで終わる場合が多い。
だが、たまに恐ろしく(?)長い曲もある。
歌詞が5~6番まであったり、もっと長いのになると歌詞が10番以上ある歌もある。
ボブ・ディランなんて、その道のオーソリティみたいな存在だ。
ワンコーラスが歌詞にして数行しかない場合は、歌詞が長くてもさほど長さを感じなかったりもするが、ワンコーラスが普通の楽曲と同じくらいの長さがあって、しかもそれが10番以上もあると、その曲は聴き手にとってはかなり長く感じるだろう。
そういう曲がアルバムに入っていて、しかも1曲1曲の長さの分数が表記されてると、そういう曲は1曲が10分近かったり、時には10分をゆうに超える場合もある。
その長さを見ただけで、聴く気分がめげてしまう人もいるかもしれない。
もちろん、単に曲の尺が長いという意味では、ロックではプログレというジャンルにはそういう曲が多いし、ハードロックでもけっこう長い曲はある。
クラシックしかり。
だが、プログレやハードロックは、そしてクラシックもそうだが、サウンドが主体になってたりするので、長い曲であっても曲調は変化に富み、しかもそういう曲はたいがいドラマチックなアレンジになっているので、案外聴いてても飽きない。
飽きないどころか、感動することも多い。
だが、それが歌詞があるボーカル主体の曲で、淡々と歌い進んでゆくタイプの曲だと、敬遠してしまう人は多いだろう。
その気持ちは、分かる。
だが
私は幸か不幸か(?)十代の多感な時代にボブ・ディランを浴びてきてるので、歌詞が10番前後まである長い曲にも、あまり敬遠感はない。
というか・・
私自身も、たまにそういう長い曲を作ってきているくらいだ(笑)。
ディランには「廃墟の街」「ローランドの悲しい目の貴婦人」「リリー、ローズマリーとハートのジャック」「ジョーイ」「ハイランド」その他の「長い曲」がふんだんにあって、そういう曲を聴いてると、長いことは長いのだが、それ以上に、曲の世界に吸い込まれてゆくような感覚になったりする。
しかも、それがけっこう心地良かったりする(笑)。
短い曲では決して味わえない感覚だ。
そういう曲は、邦楽にもある。
例えば吉田拓郎さんの「イメージの詩」、佐渡山豊さんの「どぅちゅいむにぃ」など。
もちろんリスナーは千差万別だし、長い曲は「聴いてて飽きてくる」と感じる人も多いだろう。
その感覚は否定しない。
でも、短い曲では味わえない恍惚感を「長い曲」に感じる人もいる。
なんというか、曲の中にトリップしてしまい、ずっとその曲を聴いていたい・・そんな感覚になってきたりするのだ。
そうなると、長さが逆に心地よくなるのだ。
私が過去に作った「長い曲」は、さすがに数は多くはないものの、何曲かはある。
自作曲で一番長い曲は、「時間の外」という曲。
作ったのは十代後半の頃だ。
その曲、あまりに長くて、しかも淡々と歌い進む曲なので、リスナーがもし生で聴いたら途中で飽きてしまうこと、うけあい(笑)。
さすがにそのへんのことは自分でもわかってるので、人前で歌ったことは一度もない。
確か・・歌詞が少なくても13番以上はあったはず。
しかも、ワンコーラスずつが短い曲ではない。普通の長さ。
それが13番も続くとあっては、歌う方も大変なら、聴く方もたまったもんじゃないだろう(笑)。
なので、今後も人前で歌うことはないだろう。
とりあえず、出来不出来はともかく「大作」ではあるので、なんかもったいなくて、せめてその曲のタイトルだけでも何かに使おう・・と思って、このブログのタイトルに持ってきた次第である。
これで自作曲「時間の外」は救われた(笑)。
その曲がどんな曲だったかというと、・・
歌詞の中に
「南国タバコをくわえる妖精」だの、
「馬鹿にされるガンマン」、
「つむじまがりの探検家」、
ジャンヌ・ダルク、ジャン・クリストフ、ロビンソン・クルーソー、クレオパトラ、
「ボナパルト(ナポレオン)号という名前の気球」、
2艘の船を出港させるレムリア大陸、
ミイラの生きる図面、
ハムレット、ドンキホーテ、ナスカの地上絵、ストーンヘンジ、
宇宙の言葉、
ノアの箱舟で異次元に運ばれた流浪の民のアリバイ、
壁画に刻まれた処女の瞳、
小悪魔な赤ずきん、
地下帝国のキングとクイーン、
わがままな芸術家の最後の言葉、
だまし続ける相手への対応、
自ら消した自分の意識、
・・その他たくさん・・・
こういうのが次々と出てくるハチャメチャな長い曲だった(爆)。
いやあ、よくこんな歌を作ったもので(笑)。
そのほか、自作曲で長い曲では、古くは「シルクロード」(歌詞が6~7番くらい)、「100個のピーナッツ」(ロッキード事件の時代に作った)、「真夜中の時計台」、「おたずね者」(西部劇を題材にした歌で、歌詞は7~8番くらいだったかなあ)、その他いくつかの長い曲を10代~20代前半くらいまでけっこう作った。
こういう歌は若い頃に卒業してもよさそうなのに、よせばいいのに最近でも「あの町を流れた信濃川」「母校が消えた日」などの長い曲をあいかわらずたまに作っている。
どうやら「長い曲」というのは自分の中の1ジャンルとして今も確実に存在していることになる。
いやはや懲りない奴なのです、私は(笑)。
それは、それまで聴いてきた色々な長い曲の魅力が自分の中で大きかったからだし、また、影響もかなり受けているのが自分でもわかる。
だから、懲りもせず、長い曲を今もたまに作ってしまうのだ。
ポップスバンドを組んでた頃は、基本的に1曲は3分~4分あたりの長さをメドにして曲を作っていたし、それはそれでその制約がまた楽しかった。
長い曲にも短い曲にも、それぞれ違った良さがある。
とりあえず、長い曲は受け付けない・・・というスタンスではいたくないかなあ。
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