地震がこうも続くと、絶えず地震のことが気になってしまっている。
朝、会社に行く前には「今日は無事に帰宅できるだろうか」とか「無事に会社に着けるだろうか」と思って家を出て、会社から帰る時は「このまま何事もなく家にたどりつけるだろうか」と思う。
通勤途中、帰宅途中でまた地震がくるかもしれないし、そうなるといつ電車が止まるか分からない。
実際、それほどの頻度で地震が起きている。
少し余震が減ってきたかな・・・と思うと、またすぐに暴れだす。
まるで癇癪でも起こしてるようでもあり、ゲリラのようでもあり。
なんか、一方的に攻撃ばかりされてるようでもあり。
地震がくれば、あの悪夢の津波の映像が頭をよぎるし、原発問題に至っては、ニュースが入る度に、どんどん深刻度が増した情報ばかり。
光明が見えてない。
こうまで原発がコントロールできないとは思わなかった。
現場の人が命がけで頑張っているのはわかる。
だが、設計の段階で、想定が低かったということになる・・・。
まあ、想定に関していえば、想定しはじめたらキリがないことも確かで、例えば震度10の大地震に耐えられるビルでも、空から隕石が降ってきたら、ひとたまりもない。
事故につながった時に、少しでも被害の範囲が少なくてすむ発電方法を選ぶしかない。
テレビで、地震警報音が鳴ると心臓がドキドキシ、臨時ニュースが入りましたとキャスターが言うと、嫌な気持ちになる。
臨時ニュース・・・どうせろくなものではないだろうし、暗い気持ちになる情報だろうし、臨時ニュースという言葉自体が不吉にも聞こえる。
臨時ニュースの名のもとで伝えられるニュースには、明るい気持ちになるニュースなど、震災発生いらい、ひとつもない。伝えられるたびに、嫌になる。
あの最初の大地震を思い出すと、妙なことも考えたりする。
例えば、あの大地震が来た時に、ゴンドラに乗って高いビルの窓ふきをしてた人はどんな感じだったろう・・とか、スカイツリーの建築に携わってスカイツリーの高い場所で作業してた人はどんな感じだったろう・・とか。
あるいは、遊園地の絶叫マシンに乗って最大の急こう配を下ってる時や、乗った絶叫マシンが逆さになった位置で大地震が来たら・・とか。
あるいは、渓流に高い位置でかかる長いつり橋を渡ってる時に、大地震が来たら・・とか、ロッククライミングをやってる最中に大地震が来たら・・とか。
また、首都高速に乗って渋滞に巻き込まれてる時に、大地震がきたら・・とか。
首都高速は、地震が来なくても、よく揺れるからね・・。
そういえば・・・
ある被災者のブログが今話題になっているらしい。
「被災者に頑張れというな。家も仕事も(大切にしてきた何もかも)なくなってしまって、どう頑張ればいいんだ。被災者に「頑張れ」と言って、自分は風呂もある、家もある、仕事もある場所に帰ってゆくわけだろう?」
・・そんな内容のブログだったと思う。
本音・・だと思う。
思うに、「頑張れ」というのは、少なくても現時点ではまだ被災してない我々に対して言う言葉だろうなあ。
被災してない我々が頑張って経済をまわし、それで出来るお金や被災地の商品を買う・・などの支援を被災者にまわすために頑張るしかない。
ただ・・・・旅好きな私としては、例えば今だからこそ東北に旅して、閑古鳥鳴く宿や観光地に客として行ってお金をおとしたい気持ちはあるが、こうも地震が頻発してると、行って、地震があって、電車が止まって帰ってこれなくなって、会社の同僚に迷惑かけてしまう時のことを考えると、やはり・・・・ためらってしまう・・・・。
電車だと、どうしてもね・・。
せめて余震が収まってくれれば・・・・。
とにもかくにも、前述の被災者のブログに書かれた内容は、心に突き刺さった。
やはり・・・私の思うことは、・・・被災者にかける言葉が見つからないということだ。
だって、言われなくても、被災者はもうこれまで十分に頑張ってきてるのだから。
それこそ、一生分、すでに耐えてきてるのだから。
決まり切ったキャッチコピーのように、被災者に「頑張れ」とは・・・ちょっと・・・。
心なしか、「頑張れ」という言葉が色あせて聞こえてきている。
家も、大切に保存してきたものも無くなってしまい、仕事も失ってしまって将来への展望が開けないのなら、せめて仕事だけでもまわせないだろうか。
収入源があるだけでも、いくぶん救われるのではないかと思うのだが。
被災地には無数の瓦礫が散乱してるはず。
その瓦礫を片付けるのを、被災者に限っては「国からの仕事」ということにして、臨時公務員みたいな立場で、賃金を払って作業してもらう・・なんてことはできないのだろうか。
ボランティアの人とは別に、被災者に関しては賃金労働者として賃金を払うということにして。
せめて、仮設住宅が当たり、体が動き、その気のある人たちに。
今は、被災していない人が、被災した人の分だけ「頑張って」、復興のために経済をまわすしかない。