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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

つげ義春の旅を行く 4 「長八の宿」復刻完了。

2017年03月26日 | ブログ版「時代屋小歌」

私のかつてのHP「時代屋小歌」の「旅の記事」を復刻しているブログ「時代屋小歌(旅編)」の方で、このほど旅行記「つげ義春の旅を行く 4  長八の宿」を、復刻しました。

 

この旅行記は前編と後編の計2部構成になっています。

 

つげ先生のコミック「長八の宿」は1968年に、月刊誌「ガロ」に発表された作品です。

つげ先生の作品には、自身の旅経験を題材にした作品が多く、「長八の宿」という作品もまた、先生の旅経験がコミックの題材になっています。

 

長八の宿・・・というのは、コミックの中では「海風荘」という名称で出てくる宿のことで、そのモデルになった宿が実在します。

モデルになった宿とは、伊豆の松崎にある「山光荘」という宿です。

つげ先生は、この宿に、1967年に宿泊されたようです。コミック発表の前年ですね。

で、その時の体験が、このコミックの題材になったということでしょう。

 

モデルになった宿・・・と書くと、実際の宿を多少なりともアレンジしていそうなものですが、実際にはこの「山光荘」の当時の内観が、そのままコミック内に出てきます。

 

私はこの宿に泊った時、つげ先生の「長八の宿」に出てくる様々な画をコピーして、持って行きました。

で、宿に着くと、つげ先生の描いた「海風荘」の内観イラストと実際の宿の内観を見くらべたのですが、当時ほぼコミック通りの内観が宿内に残っており、けっこう感動した覚えがあります。

 

ちなみに私が「山光荘」に泊ったのは2007年でした。

ということは、コミック「長八の宿」が発表されてから、すでに40年ほどの歳月が過ぎていました。

それだけの年月がたっていたから、内観はコミックで描かれたものとは変わってしまっているんじゃないか・・と覚悟していたのですが、実際には当時はまだそのまま残っていたので、嬉しかったです。

 

「長八の宿」という名称は、幕末の時代から明治にかけて活躍した左官職人・入江長八に由来するもので、その人物は工芸家でもあった名工。

で、作品に出てくる海風荘は、その入江長八の鏝絵(こてえ)が残されていた宿です。それゆえ「長八の宿」でありました。また、実際の山光荘も、コミック通りに長八の作品が残されていました。

 

 

この時の旅が私にとって感激的だったのは、いくつか理由がありました。

まずは前述の通り、コミック通りの光景が宿内に残されていたこと。

そして、それ以外では・・・なんと!

つげ先生が宿に贈った年賀状などが残されていたことでした。

これは圧巻でした。

漫画家としてはもう作品を発表されてなかった、つげ先生の肉筆のイラスト入りの年賀状は私にとっては国宝級の宝物に思えました。

はっきりいって、その年賀状は、つげファン必見です!

そのへんも、私の旅行記では紹介してあります。

 

「長八の宿」という作品が発表されて長い年月が過ぎているのに、つげ先生と宿の交流が続いていたという事実には、感慨深いものがありました。

 

つげ義春の旅を行く 4  「長八の宿」 前編

 http://blog.livedoor.jp/syunka16/archives/2084190.html

 

 

つげ義春の旅を行く 4  「長八の宿」 後編

 

http://blog.livedoor.jp/syunka16/archives/2086003.html

 

 

 

 

 


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