小学校の時、特に仲良くしてた友人は何人かいた。
そのうちのひとりK君とは、当時互いに親友みたいな気持があったようで、それを実感してたかのように、肩を組んで学校前の商店街を歩いてた覚えがある。
肩を組んで歩いた友人・・・というと、後にも先にも私にはK君しかいない。
同じぐらい仲が良かった友人は他にも数人いたが、実際に肩を組んで歩いた記憶はない。
なぜK君とは肩を組んで歩くまでいったのだろう。
仲が良かったという意味では、他の数人とも同じことをしててもおかしくなかったのに。
もしかしたら、肩を組んで歩くことで、K君と私は互いに仲が良いということを実感したかったのかもしれない。
だが、この肩を組んで歩く・・・というのは、大人になって考えると、けっこう恥ずかしいやら、テレくさいやら。
肩を組んで歩きながらも、若干のテレくささは当時の自分の中にもあったのかもしれない。
だから、他の友人とはそういうことまではしなかったのかもしれない。
中学以後は、いくら仲がよい友人であっても肩を組んで歩くなんていう発想などなかった。
へたしたら、当時はそんなことしたら気持ち悪いみたいな感覚もあったかもしれない。
かといって、女生徒相手にそんなことはとてもできなかった。
私には彼女らしきものもいなかったし、だいいちいたとしても、人前でそんなことはできなかったに違いない。
もっとも、女性相手の場合は、肩を組むというより、手をつなぐという形だったとも思うし。
女性相手に肩を組む・・・なんて発想は、そもそもなかったし。
当時私が特に仲良くしてた級友のうち、S君やN君は私の家の近くに住んでいた。
なので、S君やN君は、しょっちゅう互いの家に行き来していたし、近所と言うことで親同士の交流もあった。
だが、K君の家は我が家からそこそこ離れていた。なので、親同士の交流はなかった。
K君の家の前には、当時私がK君と同じくらい仲良くしてたH君の家もあった。
そのH君の家には私はよく遊びにいった。H君の家には漫画本がたくさんあったし、ソノシートと呼ばれるアニメ作品のレコードも多数あったし、またH君は珍しい魚を飼っていた。獰猛な魚で、ピラニア系の魚だったと思う。そんな魚を飼ってる奴なんて、他にいなかったから、H君の家に遊びに行く時はその魚を見るのも楽しみだった。
当時のH君の家は、私にとってはちょっとしたワンダーランドであった。
なので、H君の家には私はよく遊びに行ったのだ。だが、H君が私の家に遊びに来たことは少なかった気はしている。なかったわけではなかったが。
で、前述のK君であるが、K君の家には私は一度も入ったことがなかった。なんとなく入り辛い雰囲気があったのだ。
K君が私の家に遊びに来たことはあったかもしれないが、数は少なかったと思う。
上記のように、普段仲良くしてる割には、家には遊びに行ったことがなかったのがK君であった。
当時、互いの家にあがったことがあるかないかは、仲の良さを示すバロメーターのひとつだったような気もしている。
そんな中でK君だけは、私は彼の家に入ったことはなかったので、他の友人に比べたら本来なら少し距離を感じてもおかしくなかった。
でも、普段学校ではよく話してたし、学校以外の場所でもよくつるんで遊んだ。
互いに仲が良いということは意識しあっていた。
今思うに・・彼と肩を組んで歩いたりしたのは、少なくても私の心情としては、彼の家に入ったことがないけど、仲が良いということを実感したかったからかもしれない。
彼の家には入ったことはない・・・ということの埋め合わせみたいなものだったのかもしれない。今となっては、そう思う。
だから、他の仲が良い友人とは肩を組んで歩かなくても、K君とだけは肩を組んで歩いたのかもしれない。
家には行ったことがないけど、僕たちは仲良しなんだ・・・という実感を味わうために。
そんなK君であるが、互いにやがて小学校を卒業し、同じ中学に進学したのであるが、中学ではついに一度もクラスが一緒になったことはなかった。
当時私の中学は1学年ごとのクラスが7~8組ぐらいあったのだが、私は配属されたのは1組か3組。
一方K君が配属されたのは、確か・・6組以後。
なので、教室は遠かった。普段顔を合わす機会はほとんどなくなり、互いに自分のクラスの級友たちと仲良くなっていったので、いつしかK君とのつきあいはなくなっていった。
でも、小学校時代は仲良くしてたという記憶は互いにあったので、互いにだいぶオジサンになってから再会した同窓会では、すぐに昔話で気楽に話せるようになった。
少なくても私はそうだった。
「俺たち、小学校時代、よく一緒に遊んだよな。覚えてるかい?」という切り出しで。
でも・・・当時、学校前の商店街の道を、互いに肩を組み合って歩いていた記憶は、ちょっとテレくさくて、中々持ち出せないでいる(笑)。
そのうちまたK君とは会う機会はあるかもしれないし、「肩を組んで歩いた記憶」を持ち出すことはあるかもしれないし、持ち出したい気持ちも多少はあるのだが、その気持ちと同じくらいテレくささもあるので、持ち出さない可能性もある(笑)。
いっそ彼の方から持ち出してくれると助かるのだが、その記憶に対して彼も私と同じテレはあるかもしれないし、それどころかその記憶を忘れている可能性もある。
小学校時代の女の子同士の親友の場合、肩を組んで歩くという友情表現はないかもしれない。そのかわり、手を繋ぐのがパターンかな。
男同士では、手を繋いで歩くという友情表現は・・・少なくても当時はなかった。
今でもあまりないんじゃないかなあ。
だって、男同士で手を繋いで歩いてる光景は、まず見かけないもの。
特別な関係以外では。
手を繋いで歩く代わりに、肩を組んで歩く・・・そんな意味合いだったのかもしれない。
ある意味、女の子同士は手を繋ぎ、男の子同士は肩を組む・・・それが当時の友達表現の違いだったような気もしている。
・・・・と、ここまで書いてふと思ったのだが、子供の頃、女の子同士で肩を組んで歩いたり、男同士で手を繋いで歩いたりした人って・・・いるのだろうか。
さすがに男同士で手を繋いで歩くなんてことは・・・私は見たことがないのだが。
貴方は子供時代に、友達と肩を組んで歩いたりしなかっただろうか。
あんまり記憶ありませんね。
ただ歩かないまでも写真撮る時なんかは、普通に肩は組んでたように思います。
あ、中学校の頃、一人で映画を観に行った帰り道に突然知らない高校生二人に両方から肩組まれて、お金をたかられた事がありましたね(笑)
駅前迄の結構な距離を歩きました。実は正月明けで財布にはけっこう入ってたんですよ。
でも、私は駅前の交番が視界に入った瞬間にダッシュしてました。
突然の行動に高校生達は一瞬棒立ちになってたようですが、
私の姿を見て飛び出して来た若い警官を見て逃げ出したようです。交番の中で話を聞いてもらったのですが、どうやらその辺りで常習的にカツアゲやってた二人組だったようです。
肩を組むって言うと、真っ先にあの時の記憶が蘇る捨丸なのでした。
それもひとつの親しみの表現でした。
それにしても見知らぬ高校生に両方から肩を組まれた状態ってのは、事実上相手を逃げられなくしてる状態ですね。
で、彼等がやった行為はまさにカツアゲですね。
たまたま交番がそばにあって、ホントによかったですね。
その二人組は、その時どうなったのかなあ、
警官にマークされて、以後カツアゲはできなくなったのなら、自業自得です。
でも。それを逆恨みして、交番から離れた場所で待ち伏せでもしてたら最悪ですなあ。